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運命と宿命 2006.08.20

先日、占いで有名な細木さんが、テレビで運命と宿命の違いを説明されていました。説明の内容をよく理解できなかったので、インターネットで調べてみると、詳しい説明がたくさんありました。諸説ある中から共通部分だけを抜き出して定義すると、自分の力で変えることのできるのが「運命」で、できないのが「宿命」ということになります。


この定義で分類すると、みなさんが生まれてきたのは「宿命」ということになります。生と死、出会いと別れ、それから・・・、考えてみると宿命って意外に少ないですね。この事実からわかることは、直面した現実と悪戦苦闘することが、多くの場合無駄にはならないということです。事態を多少なりとも好転させることができるからです。


私は、運命と宿命を区別して考えたことがありません。そのため、直面した現実を何とか打開しようともがき苦しんだ末に、ようやく気づくのです。人力で何とかなることなのか否かを。でも、直面した現実が運命か宿命かをあえて区別しないほうが得策だと思います。直面した現実を何とか打開しようともがき苦しむ、それこそが大事な経験だと思うからです。


運命と宿命を区別する実益は、他者へ的確にアドバイスできるということですが、自分自身へ的確にアドバイスできるかというと疑問です。自分に都合のいい解釈に走りがちだからです。何でも宿命で片付けられると何の成長もないだけでなく、何もしないと沈んでいくあり地獄のような人生になってしまいます。沈めば沈むほど、そこから這い出してくるのは、不可能でないにしても容易ではありません。また、区別で楽ができるわけでもありません。


占いも宿命のように考えていらっしゃるのなら大間違いです。私達は常に運命を選択しながら生きています。結果を乞い願い、追い求め続けるからこそ、願いどおりの結果になる可能性があるのです。未来の結果は可能性にすぎず、必然ではないと考えるほうが精神衛生上も健康的ですしね。


さて、占いや運命や宿命とどう向き合うべきでしょうか。結果に一喜一憂しない自分であればベストでしょうが、どのような結果になっても対応できる自力を養うことが運命に負けない秘訣です。それを運命から学んでください。そのためにも運命から逃げないでください。見もしない結果に左右される人生より、望む結果を確実につかめる自分づくりに専念したほうが前向きな人生です。


ここまでは、自分だけの運命に対する対処法です。肝心なのは、他者の運命に自分の経験を役立てられる人間になることです。運命だの宿命だので四苦八苦する多くの場合は、自分のことではなく、子供や配偶者や親や友人など他者のことなのです。他者の運命で四苦八苦することが自分のそれより何倍も困難なことですから、より多くのことを習得できます。


ボランティア精神があれば他者の運命に関わろうかなと、安易に考えるのは浅はかです。例えば、家族の運命は家族全体の運命であり、あなたの運命でもあるからです。逃げられないのですよ。もし逃げたら、その代償は家族の崩壊など、予想以上に高くつく運命となって襲いかかってくることを覚悟したほうがいいでしょう。


家族も社会も捨てて自分の運命に集中するか否かはあなた次第です。でも、これだけは断言しておきます。逃げることはあり地獄の深みにはまっていくことです。クレジット代金を何回払いにするかをあなたが決めるように、あなたの運命をあなたが四苦にするか八苦にするかを選択しているのです。死んだらチャラになるかって?それは死んだらわかることですが、宿命や運命がどこから来るのかをちゃんと確認してからのほうが無難です。


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