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投稿

8月, 2007の投稿を表示しています

恋文の引っ越し 2007.08.19

恋文も数十通になったので、データが消失すると再現できない状態になりました。そこで、Movable Type 4 というブログツールに引っ越すことにしました。移行作業も断続的ながら丸1日かかりました。 データも自動的にバックアップされるので安心しています。でも、問題は恋文が倦怠期を迎えていることです。そろそろ「愛文」にしましょうかね。 今回は、引っ越しの報告まで。 Movable Type 4 関連のアマゾン情報

大腸内視鏡検査見聞録 2007.08.13

 今日は朝の6時半に義弟の電話で起こされました。ちょうど7時には起きなくてはならなかったので、おかげで本日の予定を30分前倒しで実施できました。本日の予定とは、7時に下剤シロップを飲み、8時から約3時間かけて水に溶かした1.8リットルの下剤液(スポーツドリンク風味)を飲み続けることです。合わせて、トイレに通い、便が透明な水だけになるのを待ち続けるという作業もあります。  これらの予定を30分前倒しでやることが、時間内に腸をきれいにするにはベターだと考え実施しました。結果は予想どおりで、正午までに8回トイレに行き、腸はきれいになりました。14時に長男に付き添われて病院へ行きました。検査は15時からの予約だったのですが、15時40分に検査は始まり終わるまでに約30分かかりました。  ここまではただの体験談です。ここからは、皆さんが大腸内視鏡検査を受ける際に必要と思われる情報をお届けします。私の場合と異なり、病院で下剤の服用をさせるところもあるようです。早朝から病院へ行く羽目になったとしても、患者にとってはその方が安心かつ親切です。大腸がきれいになると、鎮痛・不安除去効果を狙って麻酔を注射しますが、私は、検査後に30分も寝かされるのがイヤで断りました。検査の痛みがどの程度かという興味もありましたが、あまりの激痛に後悔しました。  検査台に、まず左向きに寝かされ、内視鏡が挿入されると、ガスを注入して大腸を拡げながら洗浄を続け、やがて仰向けにされ、最後は右向きにされました。内視鏡はこの時点で盲腸まで達しています。腸が膨らみ内視鏡が腸の壁面に振れるので鈍痛やら疝痛やらが交互に襲ってきて顔面は大忙しの状態でもあります。  実は、この時点で医者の力量がわかります。まず、体位を入れ替えさせるのは技能に問題ありです。名医は患者の体位を変えずに挿入を完了させます。この点はみなさんが医者を選ぶときの重要なポイントになります。必ず体験者にこの点を確認してください。でも、名医は少ないらしいです・・・。  次に、痛みとは関係がありませんが、私の場合モニタを見せながらの説明がありませんでした。ポリープも発見されたので切除して生体検査に回したのですが、その際にもモニタを見せてくれませんでした。患者の立場から医療をしているのか否かは、医療事故の危険性とも密接に関連していますので、みなさん、この点もぜひ...

寝たきりの人生に備えて 2007.08.10

 7月最後の土曜日に腰痛が急激に悪化し歩けなくなったので、1週間ほど自宅療養を余儀なくされました。半時間と同じ姿勢でいられないので、夜中に何度も激痛で目が覚めることに終いには腹が立ち、痛みに堪えながらパソコンに向かい、サイトのリニューアルを始めてしまいました。FLASHというホームページ作成ソフトを長年使ってみたいと思っていたので、夢が叶ったうれしさからか痛みを忘れて熱中することができました。そして、疲労困憊状態を自ら引き起こし、夜は激痛に悩まされることもなく爆睡していました。おそらく、失神状態に近かったのではないでしょうか。  激痛からは解放されましたが、今も相変わらずの腰痛持ちです。今回の経験で、寝たきりの人生になったとしても、何をして余生を過ごせばいいのかが見えてきました。やりたくても時間が無くてできなかったことをやればいいのです。そのためには、やりたいことをたくさんストックしておくことです。時間さえあれば、手足が不自由になっても、それこそ口さえ使えればできるようなやりたいことをたくさん貯め込んでおくことです。  何をして生きても、何もせず生きても、それぞれの人生に優劣はありませんが、「いい人生だった」と自分を納得させられるか否かには、大きな優劣があります。今後の人生設計を具体的に計画し、リスクに備えることは、リスク回避の効果が一番の目的ですが、不幸にしてリスクが現実のものとなったときの痛手を軽減する目的も大きいのです。  私は、突然他界する可能性の方が寝たきりになるよりも遙かに高いと考えていますが、万一の場合の備えはしっかりやっているつもりです。皆さんもぬかりなくご準備ください。  ベッドでも使えるノート型パソコン、一緒に買いませんか?FLASHを教えてあげますよ。 寝たきり 関連のアマゾン情報

不定愁訴(ふていしゅうそ) 2007.08.03

 体がだるい、疲れやすい、熱っぽい、頭が重い、頭が痛い、のぼせる、耳鳴りがする、しびれる、動悸がする、体が冷えるなどの症状はあるものの、検査をしても原因がわからない場合を不定愁訴と呼んでいます。私も30年以上、毎日が不定愁訴です。  前述以外の症状として悩まされているのは下痢、腰痛、膝痛、頸椎痛、背筋痛、アレルギー性鼻炎、のどの痛み、かゆみ目、蕁麻疹です。もちろん、治療はしていません。どれも「完治は無理、一生上手に付き合っていきましょう」と医者に励まされて終わりました。「症状がひどくなったら来てください」とも言われたのですが、それだと毎日どこかの病院へ行かなくてはなりませんので仕事と両立ができません。  やっかいなのが遺伝的体質です。低血圧なので朝起きられません。今回、トイレで失神し、救急車で病院へ運ばれるという失態をやらかしましたが、その原因も低血圧でした。ぎっくり腰で這ってトイレまでは行ったものの、急性腸炎で脱水状態だったのに加え、夜中に腹痛で目覚めて起きたので、血圧が一日で最も低い状態だったことが引き金となりました。トイレ中で血の気が引き、吐き気を催したところまでは覚えていますが、気がついたらトイレの床に倒れていました。  救急病院へ午前2時に運ばれ、午前10時には帰宅できましたが、帰宅直前の血圧が上は100に届かず、下は55前後、心拍数は49でした。これでは毎朝普通に起きられることの方が不思議です。寝ているときは仮死状態ではないかという自説の裏付けにも使えそうな数値です。睡眠中は当然覚醒時より低いわけですから。  それはともかく、ハーフベターの健康管理が一層高圧的になりつつある今、「早く寝ろ!!」というのは恐怖体験による失神と同じ現象を誘発しかねないということをご理解いただき、ぜひお改めいただければと存じます。 不定愁訴 関連のアマゾン情報

私が甘党を返上する日 2007.05.27

 愛する息子が、突然糖尿病で入院しました。嫌なことをすべて回避し、我慢をしない人生、今日が楽しければいいという人生を謳歌してきた息子でしたが、我慢を避けるのも楽しい気分を得るのも日々困難になってきたなと気づいた矢先の出来事でしたので、人生最悪の状況だと思います。回避できたのではなく、先送りしてきただけにすぎなかった我慢を、ここにきて一気にさせられる羽目になったのだという事実に気づいてくれればいいのですが。膵臓の機能を失うことで一生治療を強いられるだけでなく、毎日の食生活で我慢をし、終わらない闘病生活でも我慢を強いられ続ける息子を、親としては不憫ですが、本人の人生にとっては利益の方が大きいと確信しています。  私は、幼少の頃より50になる今日まで、人の10倍以上の糖分を毎日摂取してきましたが、未だ血糖値に異状が認められません。栄養士さんには「体質」で片付けられてしまいましたが、息子が退院したら、きっぱりと甘い物はやめます。食べたい物が自由に食べられないという息子の苦しみを共有してみたいのです。  というわけで、現在、毎晩甘い物の食いだめをして来るべき日々に備えております。悪しからず。 糖尿病 関連のアマゾン情報

まだ生きてます 2007.05.03

 2月に続き、4月も1通も恋文を書けませんでした。悪友の皆さんには多大なご迷惑をおかけしました。すみません。公私の私の部分だけご報告させていただき、お詫びに代えさせていただきます。  両膝を同時に痛めてしまった件は先にご報告いたしましたが、痛みが日々強くなり、今ではまともに歩けなくなりました。腰痛も悪化したので4月からはバイク通勤をしています。膝は治らないと宣告されているので、これからはバイクを極めようと意気込んでいます。  病気と闘っているのは私だけではありません。父も4月に手術を受けました。ひょうひょうとガンと闘っている父の背中からは、多くのことを日々学んでいます。また、祖母も生死の境を彷徨っています。今更ながら、自分がどれだけ泣き虫だったのかを思い知らされます。  でも、ご心配なさらないでください。毎日笑って生きていますので。「笑う門には福来る」の例外は、少なくとも私の人生にはまだありませんから。 闘病 関連のアマゾン情報

カリスマ 2007.03.02

 2月はとうとう一通もラブレターを書けませんでした。アレルギーに悩まされ、酒の席が多くなり、国内初の仕事を教材にして後輩を指導する日々に、心身共に余裕がない月でしたが、同時に多くの新たな経験をさせていただいたので、充実した月でもありました。  アレルギー症状は、この20年間は鼻炎だけでしたが、最近は気管支ぜんそくと蕁(じん)麻疹にも悩まされています。朝は遅刻することが多くなりました。去年から言い続けていますが、ここらで一度オーバーホールをしようと時期を見計らっています。でも、20年前よりはずっと軽い症状ですのでご心配なく。それに、仕事に対する情熱も20年前より格段に薄れていますので、死んでもやむなしの覚悟で仕事をすることは二度とありませんから。お約束します。  さて、今回のお題ですが、唐突に、「カリスマ」です。カリスマとは、「一般大衆を魅了するような資質や技能をもった人気者をいう俗語」(語源由来辞典から引用)だそうですが、カリスマの語源は、「ギリシャ語で『恵み』『恩愛』を意味する『カリス』」で、「『カリス』から派生した『カリスマ』は、新約聖書で『神からの贈り物』『神の賜物』を意味する宗教用語」ということです。カリスマが一般用語になったのは、「ドイツの社会学者『マックス・ヴェーバー』が社会学用語として用いた20世紀以降のことで、カリスマは特異性・神秘性・非人間性のある政治や宗教の指導者などをさし、善悪問わず他の人間を支配・誘導する意味が多く含まれてい」るのだそうです。  なぜ、カリスマがお題なのかというと、後輩の指導をしていて、例えば、私の持っている対人関係能力を伝授しても、結果である相手の反応が私に対する反応と正反対という場合が少なくなかったからです。原因を究明していくと、伝授することができない部分が対人関係能力には少なからずあるのだということに気づいたのです。この部分をある後輩が私のカリスマ性だと言ったのです。  カリスマ美容師ならぬカリスマ公務員と評されることは名誉かもしれませんが、かのヒトラーも間違いなくカリスマだったのでしょうから、単純に喜んでもいられません。それに、対人関係能力は、国や民間と本市の共通課題を共同で解決したり、職員や住民を説得するためにも不可欠の能力ですので、是が非でも身につけてもらわなければなりません。なんくるないさ(※)の精神でのんびりや...

日韓戦 2007.01.29

 昨年の11月から、縁あって韓国の方々と仕事をさせてもらっています。異国の地に4ヶ月滞在し、毎晩遅くまで仕事をしている彼らに、ひとつでも多くステキな想い出を残してあげたいと、いろいろと交流を重ねてきましたが、やはり言葉の壁が大きく、上手に気持ちを伝えることができないでいます。  そこで、今年から韓国語を勉強しています。女性が相手だと勉強にも身が入るのですが、仕事で顔を合わせる方々は男性ばかりなので、勉強の進み具合は芳しくありません。仕方がないので、2月末の完成報告会の席で、韓国側のリーダーと私が、お互いにどれだけ相手の国の言葉を習得したかを競うことにしました。  私の対戦相手は隹(チェ)さんという方ですが、彼の日本語力は、我々との会議で発言内容の八割程はわかるとのこと。会話どころか未だに文字すら読めない私とでは、すでに現時点で勝負はついた感がありますが、奇跡の大逆転を真面目に実現させようと考えています。  韓国語の紹介は次の機会にするとして、外国語はすべて、耳から聞いて声色までまねて発音するのが基本だと信じていますので、とにかく聞きまくってオウム返しに喋っています。母音がたくさんあるので、区別がつけにくいのですが、語順は同じなので、とにかく単語を覚えればいいようです。  それでは、今夜はこの辺で。あー、ちくしょう!!おやすみなさいが出てこない・・・。 韓国語 関連のアマゾン情報

気管支喘息 2007.01.14

 30歳の秋、夜中に突然呼吸困難となり、自分で車を運転して救急病院へ行ってから今年で20年目になります。病名は気管支喘息でした。明朝気管支喘息専門の個人病院へ行くと、ハウスダスト、つまり家庭内の埃に対するアレルギーだとわかりましたが、発病の原因は過労でした。過労の状態は数年前まで続いていましたが、根気よく治療を続けた結果、発作が日常化しない程度にまで改善することができました。  過労から解放されて3年目ですが、個人的に忙しくなってきたせいか、また喘息の発作がでるようになってしまいました。一生治らないと宣告されていましたので、仲良く付き合っていこうと思っていますが、治療に専念するわけでもないので、良妻には相変わらず迷惑のかけ通しです。「ごめんなさい。」  今回話題にしたいのは、子供も大人もアレルギーが蔓延している社会の現状です。小児気管支喘息は30年前の6倍、成人も含め、喘息で死ぬ人も年間6千人います。特に若者の喘息患者が急増しているそうです。花粉症、アトピー性皮膚炎、じんま疹なども、原因は喘息と一緒ですので、おそらくすべてが同じ傾向にあると思います。喘息と違うのは、アレルギー症状が出ても死ぬことがない、ということくらいです。  アレルギー患者の増加は、自然と決別した生活環境に人々が置かれるようになってからです。つまり、自然界に生息する細菌と接触する機会が減少した結果、人間の免疫力は暇を持て余してしまい、体内に入ってくるハウスダストなどの無害の異物にちょっかいを出し始めたことが原因です。人間の免疫力が出番を求めて反乱を起こしているのです。  人は、自然の一員でなくなりつつあります。「宇宙大戦争」で、異星人は地球の細菌によって滅ぼされてしまいましたが、このままですと、人間もそうなるのではと危惧しています。唐突に結論ですが、爆発的に増加する人類の数の調整が、明日から始まっても、どうか皆さん驚かないでください。それは地球自体の健康管理法であり、当然の権利なのですから。 現代病 関連のアマゾン情報

初風邪 2007.01.08

 今年の初風邪は、喉の痛みと咳に起こされた1月4日でした。その日は、恒例となった人間ドックの受診日でもありました。良妻も一緒の受診でしたので予定通り人間ドックは受けましたが、体力のない老人や幼児のように即日気管支炎になりまして、痰を出すための咳に悩まされながらも人間ドックは無事に終えることが出来ました。即日の診断では異状なしとのことでした。  祖母は80代にして初めての入院。幼少の頃に痛めた足は満足に治療をしてもらえなかったのでしょう、びっこを引いたまま今日まで歩んで来ましたが、今はもう歩けません。生きたいと願うのは人情でしょうが、失っていく人生だけが日々続くと、死にたいと願い始めるのも人情であり、祖母はまさにそういう日々に突入しかけています。彼女の悲しみや不安や苦痛を充分把握できずに、まごまごしているだけの孫の私ですが、やがて自分の身に起きたとき適切に対処するためにも、祖母の人生で名脇役を演じられたらと願っています。  人の死に方は様々ですが、幸せのバリエーションてそんなに多くはないと思っています。身近にある幸せのバリエーションは、せいぜい皆さんの生活スタイルのバリエーションと同じくらいではないでしょうか。ただし、この理屈が成立するのは、日々の生活の中に幸せを見いだそうとする場合だけです。今の生活から抜け出すことだけを考えている方には、残念ながら「馬の耳に念仏」となります。  祖父は亡くなりましたが、愛情豊かなたくさんの想い出を残してくれました。笑いで人を幸せにする術を教えてくれました。顔面血だらけで帰ってきた4歳の私を抱え、2キロ先の病院まで走って連れて行く道すがら、足の爪を剥がしたことにも気づかないくらい動転していた祖父。その心情を思うとき、私はいつも涙が出ます。感謝の気持ちでいっぱいになります。感謝をして日々を生きる、それこそが最高の幸せなのだと私は痛感しています。つまり、毎日感謝できれば毎日が幸せなのです。  良妻を始め、多くの方に日々感謝しておりますので、「世界一の幸せ者」を自認していますが、お陰様で「世界一おめでたい男」という評価も良妻よりいただいております。どちら様も、「おめでたい人」を目指してお励みになられてはいかがでしょうか。 幸せになる方法 関連のアマゾン情報

あけましておめでとう 2007.01.01

去年も多くの出会いと別れがありました。多くのものを失いながら多くのものを得ていく、そんな人生に一喜一憂しながら皆さんも頑張ってこられたと思います。 わたくしといえば、相変わらずやりたいことができない1年でした。仕事は管理職の本分である人材育成をやりながら、着々と組織を変革できた年でしたが、できれば、行政改革の部署に異動し、先陣を切って職員の半減、予算の半減、サービスメニューの倍増を組織決定させ、一気に総攻撃をかけたい年でもありました。 個人的には、来年の3月で退職の予定でしたが、良妻を先に退職させなければならなくなったので、私は二人分の収入を稼がなければ退職、というより転職できなくなってしまいました。今年は、その第一歩を踏み出すために苦慮しています。 神との関係では、相変わらず疎遠の年になりそうです。父として、夫として、息子として、孫として、そして公務員として、神の学校を卒業するにはまだまだ単位が足りないようなので、人間関係から多くのことを学ばねばならない状態です。 5年先が見えない人、ぼんやり見えている人、はっきり見えている人、様々でしょうが、視点を変えれば、それは自分自身がどの程度見えているかということでもあります。あなたは、生涯をかけて何をしたいのですか?どうなりたいのですか?という答えにたどり着くためには、今年、5年後、10年後に、あなたは何をしたいのですか?どうなりたいのですか?という問いを自分に発し続けることが必要だと思います。 今年の私は、かみさんを退職させるだけのわらじをもう一足揃えること、5年後の私は船の上でみなさんに残しておきたい事柄を執筆活動を通して形にしていること、10年後は伝道者として世界中に出没していること、を目標に今日を頑張っています。 ひとづくりが私の一生のテーマです。 人生設計 関連のアマゾン情報

きよしこの夜 2006.12.24

毎年、クリスマスイブには我が家でクリスマスパーティを開催しています。良妻の兄弟や姉たちの家族が一堂に会し、クリスマスプレゼントやビンゴの景品を両手に抱えて喜ぶ子供や孫たちを見て幸せに浸っています。 一方で、祖母はひとり病院のベッドでこの日を迎えています。ついに歩けなくなったので、死が近づく日々に一層怯えるようになりました。怯えたり、悲観したりしても容態が好転するわけではありませんので、人生をもっと大事に使ってもらいたいのですが、私にも打開策がありません。 私といえば、頸椎をやられ、腰をやられ、両膝をやられと、日々体中の痛みと闘っていますが、一方で体中にじんま疹が出るようになり、日々かゆみとも闘っています。でも、ご安心ください。相変わらず無我夢中に幸せな毎日を過ごしていますので。 神やクリスチャンである兄弟姉妹とも疎遠な私ですが、神が敷いたレールの上をひた走っています。もちろん、すきあらば脱線を狙ってはいますが、これまでのところ成功したことはありません。 次の世代のために、残せるモノはすべて伝えようと努力もしていますが、成果を出すのは容易ではありません。それなのに、興味もやる気もない組織の発展や国家の行く末などに関わる仕事が多くなり困惑しています。国の審議委員までやらされるようになると、さすがに神が何をさせようとしているのか不安になります。国の委員会で辛口の論評をしてもプラスの評価が返ってくるので困惑は増すばかりです。 旧友らとの時間がほとんど持てない一年でしたが、新たな友をたくさん得ました。来年はさらに忙しい一年になりますが、このサイトで僕の日常を垣間見てください。最近は月イチの更新で恐縮ですが、ご勘弁を。 気づいたら死んでいた、という口癖は本望ですから、現実になっても悔いはありません。人生、何をしてきたのかが大事だと思っていますので、僕を哀れむ必要はありません。 きよしこの夜に、すべての人が自分の人生を意義あるものにできますよう祈念して、どちら様も、生きているうちにお会いしましょう。 クリスマス 関連のアマゾン情報

本音はストレートが旨い? 2006.11.24

元来、飽きっぽい性格なのですが、人に教え諭すことにも飽きてきたようで、恋文の更新が滞っています。生来の一匹狼ですので、群れることが嫌いなわけで、人を教え諭すことなぞ縁遠いはずだったのですが、できの悪い子供たちに遺言代わりに残せるものをと思って始めたのがこの恋文です。 学校に行きたがらない子供たちに、 「行きたくないなら行かなくてもいい。でも、高校や大学には同級生より数段苦労しなければ入れないと覚悟しなさい。進学する気がないのなら働きなさい。進学は、したいときに人一倍苦労して実現させればいい。経済的にも人一倍苦労しなければ人並みの生活は無理だと思いなさい。金がなくても生きていける人間になりなさい。人目が気にならなければ浮浪者が最も金欠に強い生き方だ。」 と、教えてきました。浮浪者になることを望んでいるわけではありませんが、浮浪者のように自分の利益を追い求めず、そのエネルギーを人々の利益を実現させるために使って欲しいと願っています。そのためにも、誰よりも苦労して欲しいのです。そこから学んだことが、多くの人を救う教養になるからです。 本音をストレートに表現すれば、したことはありませんが、おそらくこういうくだりになります。 「自分のために生きると人生は空しいだけです。不幸な自分を嘆いていても何も生まれません。不幸な自分に打ち勝つには不幸に打ち勝つことです。不幸に打ち勝つには、不幸から多くのことを学ぼうとすることです。自分を第三者的に見つめてご覧なさい。自分自身にどうアドバイスすべきかを考えてみてください。 究極の極意は、自分の不幸よりも他人の不幸に敏感でありなさい。多くの弱い人々と関わりなさい。自分の不幸を感じなくなるほど多くの人を愛し、その幸せをサポートしなさい。多くの人を幸せにすることに、あなた自身が幸せを感じることができるなら、あなたは不幸に悩まされることはありません。それはあまりにも小さな出来事に過ぎないからです。 わたしは、それをあなた方に知って欲しくて、自分の人生を実証実験にしています。わたしがVサインを出して死んだら、わたしの教えてきたことが真実だったと信じてください。そして、私のように実践してください。あなた方の幸せを、お母さんには負けますが、祈っています。」 生き方 関連のアマゾン情報

悪い癖の直し方 2006.10.23

悪い癖を直す最も簡単、確実なやり方は、悪い癖が出たら指摘をしてもらうよう、周囲の人に片っ端からお願いしておくことです。それだけでなく、指摘をしたら1回千円のお礼をするとでも言えば、指摘をする側も自分もがぜん真剣味を増すので成功は確実です。この方法は、禁煙をしたい方には是非お試しいただきたいと思います。たばこ代がすぐ無くなるので、必然的に止めてしまいます。 私の悪い癖は、ひとりで仕事を片付けてしまうことです。チームワークを忘れ、誰にもノウハウを残せず、異動できない環境を自分で作ってしまうという、悪循環に陥ってしまうことです。これは職場にとってもいいことではありません。人材が育たないので、組織力は弱くなる一方だからです。 しかし、そんな悪循環などお構いなしに私個人に仕事が回ってきます。誰もやったことのない仕事というやつです。でも、今後は無いともいえないので、鳥瞰的な現状分析に裏打ちされた戦略立案の詳細から勝算の見込みまで、事細かに課員全員に伝授しています。 リーダーとして、全員を無理矢理引っ張ってはいますが、TPOを考えて伝授していないこともたくさんあります。将来予測などはその典型です。10年先まで具体的に見えるものは結構多いのですが、将来予測をする意味がないと思われている職場ですから、職員の多くは先を見ていません。将来に対して悲観して見せるだけです。 私のしていることが職場全体に広がれば、私に対する評価も改革者ではなく革命者、構築者ではなく破壊者と感じる職員が多くなるかもしれません。危機感は共有できても、愚行かもしれない私の行動に果たしてどれだけの職員が協力してくれるのか、私にもわかりません。 革命が終わったとき、職員もようやく私を評価してくれると信じています。「さっさと退職したあのヤローのせいで俺たちがこんなに苦労しているんだ!」と。

ワンコインチャリティコンサート中止から延期へ 2006.10.16

要望が多かったらしく、いったんは中止になったワンコインチャリティコンサートが延期に訂正されました。日時は、11月1日(水)午後5時半から、場所は浦添市役所9階の展望ラウンジです。 メンバーの日程が合わず、練習時間が満足に確保できませんが、金の取れるライブにすべく工夫を凝らしたいと思います。少しだけ乞うご期待。

ムーン・ライト セレナーデ 2006.10.01

10月6日(金)午後5時半から、市役所の中庭で「中秋の名月ワンコイン・チャリティ・コンサート」を開催します。<a href="http://8761234.jp/koho/2006_09/561_28~29.pdf" target="blank">詳しくはこちら</a>。500円を払って聴く価値があるかどうかは自信がありませんが、我がバンドの「亜土民(あどみん)」は7時半頃から4曲歌うことになっています。 私は、地元のロックバンドだったアイランドの「Stay With Me」を歌います。本来なら去年歌うはずだったのですが、去年は風邪で一曲も歌えずじまいでしたので、今年は思い切り「がなる」予定です。 曲の内容は、うまくいっていない恋人の、その傍にいることで温もりを感じ、そうすることで通わぬ心を通わせ、幸せを感じたいと願う悲恋です。余談ですが、恋に限らず、心と心を通わせるのは至難の業ですので、「慌てず、焦らず、諦めず」を実践しているいい歌だと思います。 恋の歌をギター片手に熱唱すれば、立派なセレナーデです。しかも満月の明かりの下で歌えれば、ジャズの「ムーン・ライト セレナーデ」の旋律が聴こえてきそうです。 歌には、心と心を通わせる力があると信じています。さあ、当夜に私と心が通い合う運命の人はどなたでしょうか?良妻は来ないので、果たして誰になるのか楽しみです。皆さん、是非おいでください(残念ですが、男性の方は対象外です)。

アレルギーとの闘い 2006.09.10

毎週アレルギー性鼻炎に悩まされています。毎週日曜日に欠かさずプールで泳いでいるのが原因です。プールの水が過敏になっている鼻の粘膜を刺激するので、火曜日まで、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、頭痛に苦しんでいます。 アレルギーとは、 体内に入ってきた異物を排除しようとして過剰に反応することです。人は、体にないものが外から入ってくると、それを異物と感じて排除する抗体を作ります。そして再度同じ異物が体内に入ってくると、抗体がそれを排除しようとします。この異物がウイルスや細菌の場合、病気から体を守るので免疫作用として働くのですが、異物が花粉やホコリ等で無害の場合にも、抗体がこれを排除しようとする場合があります。これが体に悪影響を与える場合をアレルギーというのです。 アレルギー性鼻炎の場合、異物が鼻の内側を覆う粘膜に付着すると、粘膜にある肥満細胞などからヒスタミンとロイコトリエンなどの化学伝達物質が放出されます。するとヒスタミンは鼻の粘膜にある知覚神経を刺激します。この刺激がくしゃみ中枢に達し、呼吸器筋に働いてくしゃみ が連発するというわけです。 放出されたヒスタミンが知覚神経を刺激すると、その刺激は分泌中枢に達し、分泌腺に働いて、大量の鼻水が出て止まらなくなります。さらに、ヒスタミンは鼻の粘膜にある血管にも直接作用して、血管の拡張や循環障害を引き起こします。その結果、鼻の粘膜が腫れてむくみ、鼻づまりが起こるわけです。 また、肥満細胞からヒスタミンと一緒に放出されるロイコトリエンという化学伝達物質は直接、分泌腺や血管を刺激して鼻水を分泌させたり、粘膜のむくみによる鼻づまりを引き起こします。ヒスタミンに比べると作用は弱いのですが、持続性があるため、これらの症状が一度起こると長引くのです。 治療は、体の反応力を弱める薬等の服用が一般的なようですが、私の治療法は、アレルギー源である異物を体内に取り込んで徹底的に闘うことです。いわゆる逆療法といわれるものです。 のどがかれてもくしゃみは続き、腹筋が痛くてもくしゃみは続きます。鼻が詰まると寝苦しいだけでなく、それだけで耐え難いストレスを生みます。しかし、程度の差こそあれ人はその苦痛に慣れます。コツは気にしないようにすることです。自分が苦痛と闘っていると意識しないことです。何かに集中して気を紛らわすことです。そうすれば、不幸にKOされない自分を確...

変形性膝関節症 2006.08.29

腰痛がひどくなってきたので、先日病院へ行ったところ、驚いたことに変形性膝関節症と診断されました。治らない病気をまたひとつ抱えてしまいました。ハァ~。 気を取り直して、ご同輩のために少し説明しておきましょう。当てはまる方は病院へお急ぎください。 e治験.comのサイトに、次のような説明があります。「変形性膝関節症とは、膝関節のクッションである軟骨のすり減りや筋力の低下が要因となって、膝の関節に炎症が起きたり、関節が変形したりして痛みが生じる病気です。中高年の方に多い病気ですが、とりわけ女性に多く、50歳以降になるにつれて患者さんの数が増えていきます。発病初期は痛みがすぐに治まったり、痛みがあっても年のせいだとあきらめたりして病院を訪れる人が少ないのが現状です。一度発病したら若いころのような膝に戻すことはできませんが、適切な治療を受ければ症状の進行を遅らせることで、普通に日常生活を送ることができます。痛みを我慢することや、年だからとあきらめたりする前に変形性膝関節症の正しい知識を身に付け、適切な治療を受けるよう心がけてください。」 膝が痛いからといって運動をしないわけではありません。徒歩通勤と水泳を中心に体力づくりを続けてきましたので、これからも続けていきたいと思います。がっかりなのは、努力をしていたにもかかわらず、逆の結果が出てしまった点です。水泳は週に1回2時間程度ですし、徒歩通勤も1日平均40分程度ですから、やりすぎたわけではありません。 努力が報われないタイプだと常々思ってはいますが、そこから何を学ばなければならないのかが、いまひとつわかりません。それがわかるまで、神様はこの試練を与え続けるのでしょうか。進学すれば勉強が難しく感じられるのと同じ仕組みのようでうんざりしますが、後輩のためにも早く悟らなければと自らを奮い立たせています。 病気のデパートと言われた私ですが、それが子育てに大いに役に立ちました。診立てが出来るので、救急病院へ連れて行くか様子を見るかの判断が容易でしたし、症状から適切な対応が取れましたので大事に至るのを防ぐことが出来ました。ですから、七難八苦の経験は決して無駄になることはありません。「天よ、我に七難八苦を与えたまえ」と叫ぶ必要はありませんが、逃げても無駄だということと、どう対処すべきかを肝に銘じておいたほうが賢明です。 この2日間の療養で、...

運命と宿命 2006.08.20

先日、占いで有名な細木さんが、テレビで運命と宿命の違いを説明されていました。説明の内容をよく理解できなかったので、インターネットで調べてみると、詳しい説明がたくさんありました。諸説ある中から共通部分だけを抜き出して定義すると、自分の力で変えることのできるのが「運命」で、できないのが「宿命」ということになります。 この定義で分類すると、みなさんが生まれてきたのは「宿命」ということになります。生と死、出会いと別れ、それから・・・、考えてみると宿命って意外に少ないですね。この事実からわかることは、直面した現実と悪戦苦闘することが、多くの場合無駄にはならないということです。事態を多少なりとも好転させることができるからです。 私は、運命と宿命を区別して考えたことがありません。そのため、直面した現実を何とか打開しようともがき苦しんだ末に、ようやく気づくのです。人力で何とかなることなのか否かを。でも、直面した現実が運命か宿命かをあえて区別しないほうが得策だと思います。直面した現実を何とか打開しようともがき苦しむ、それこそが大事な経験だと思うからです。 運命と宿命を区別する実益は、他者へ的確にアドバイスできるということですが、自分自身へ的確にアドバイスできるかというと疑問です。自分に都合のいい解釈に走りがちだからです。何でも宿命で片付けられると何の成長もないだけでなく、何もしないと沈んでいくあり地獄のような人生になってしまいます。沈めば沈むほど、そこから這い出してくるのは、不可能でないにしても容易ではありません。また、区別で楽ができるわけでもありません。 占いも宿命のように考えていらっしゃるのなら大間違いです。私達は常に運命を選択しながら生きています。結果を乞い願い、追い求め続けるからこそ、願いどおりの結果になる可能性があるのです。未来の結果は可能性にすぎず、必然ではないと考えるほうが精神衛生上も健康的ですしね。 さて、占いや運命や宿命とどう向き合うべきでしょうか。結果に一喜一憂しない自分であればベストでしょうが、どのような結果になっても対応できる自力を養うことが運命に負けない秘訣です。それを運命から学んでください。そのためにも運命から逃げないでください。見もしない結果に左右される人生より、望む結果を確実につかめる自分づくりに専念したほうが前向きな人生です。 ここまでは、自分だけの...

左足でブレーキペダルを踏みませんか? 2006.08.13

パソコンを使って日本語を入力をするとき、みなさんはかな入力ですがそれともローマ字入力ですか?実験も兼ねて、私は両方を使い分けていますが、体験から得た結論では、かな入力のほうが断然速いです。キータッチの数が違うのですから、その分時間が違うのは当たり前ですが、多くの人が慣れているからという理由でローマ字入力を選んでいるのは不思議です。 オートマチック車の運転をするとき、私はブレーキを左足で踏みます。もちろんアクセルは右です。見通しの悪い交差点や住宅街など飛び出しを警戒しながら走行する場合には効果があります。「それだけ?」って言われると困っちゃうんですけど。欠点もあります。慣れるまではブレーキをかけながら加速しているなんてことになります。やってみようかなというご奇特な方、ご注意ください。 いろいろなことに疑問を持つ癖がつくと、答えを出すために自分自身を実験道具として使う場合が結構あります。そのとき、器用な方だと自力で答えを出せたりします。そういう器用さは、実は訓練で身につくものなのです。手足の器用さだけに言及しているのではありません。心の器用さにもそれは当てはまります。「何あれ?考えられない」を連発される方は要注意です。考える訓練をすれば、理解できない人はほとんどいなくなります。理解できれば、人間関係が円滑になり、包容力が養われます。苦手なことから逃げなければ、得ることの多い人生が約束されると信じています。 だまされたと思って、だまされてください。 自己啓発 関連のアマゾン情報

旧盆前夜 2006.08.05

今年も旧盆がやってきました。沖縄のお盆は今でも旧暦でやるのが大勢ですから、旧盆前は市場は活気づき、道路は大渋滞です。 あちらの世界からも、故人が大挙里帰りをするため、見る方は現世とあの世の人間でごった返した生活を強いられるので滅入るとこぼしていました。ただでさえ、沖縄は霊で溢れ返っていると言われていますので、霊感のある方々には暑中お見舞い申し上げます。 かつては、私にも霊感はあったらしいのですが、物心つくまえの話ですので記憶にありません。ですから、現在はまったく霊感を自覚できません。このような私にも先祖は会いに来てくれるらしいので、変な話ですが心の交流ができない自分にふがいなさを感じています。 さて、里帰りする先祖と酒を酌み交わすことはできませんが、里帰りをする兄弟姉妹や親や親戚とは久々に会えるわけですから、この機会に一族の絆を確かめたいと思います。

放蕩息子 2006.07.26

二男が愛知から半年ぶりに帰ってきました。手取り30万弱の給料を最初の二週間で使い切ると、次の給料日まで極貧の生活でしのぐというパターンを懲りもせずに半年間繰り返したとのこと。妻は叱る気力も失せ、私は自分のDNAに苦笑するしかありませんでした。 しかし、二男は愛知に行く前の生活がいかに無駄だったかということを悟りました。帰って来て次に何を始めるのか、私としては興味津々ですが、できれば早く社会人になって多くの人から生き方を学んで欲しいと願っています。理想を言えば、誰もやりたがらない、誰にもできない仕事にやりがいを見出し、社会の役に立つ人材になることを望んでいます。 26年前、教会の寸劇で放蕩息子の兄を熱演?したことがあります。放蕩息子は父に反抗し家を飛び出すのですが、やがて父の教えが正しかったと悟り、詫びを入れて戻って来ます。兄はというと、父の教えに従って父を助けて生きるのですが、父の生き方を悟ることができません。父と意見が対立するときでも、それを父にぶつけて悪戦苦闘することを避けたからです。 誰もが人生に迷いますが、今の生活レベルや利益を捨ててまで答えを探し回る人は稀です。勇気がないからです。捨てる?いえいえ、捨てたもの以上の利益が得られなかったときに奮起する勇気です。神が父であるなら、私は今まさに放蕩息子そのものですが、他人の利益から自分の利益を得る処世術を構築中ですので、もう少し放蕩息子を演じたいと思っています。よろしく、神様。

ククヌトゥグジュー(=49歳) 2006.07.17

今年も家族に誕生日を祝ってもらいました。振り返ると、先人の教えどおり、人生はあっという間です。自分の思い描いていた人生とは全く正反対でしたが、後悔も不満もありませんので、結果オーライというところでしょうか。 私が不運なのは良妻も認めるところですが、運を味方にするには不運と闘って屈服させるしかないと思い、無駄、無理、無謀と言われながら、ドンキホーテのように不運に挑んでいます。実況中継をいたしますと、ただいま袋だたきの状態です。もちろん私が。 職場でも、でかくなる一方の不運と闘う日々を送っておりますので、部下の皆さんには鼓舞激励を浴びせつつ、ひたすら恐縮しております。しかし、不運は精神修養だけでなく人材育成にも格好の材料ですから、存分に活用したいと考えています。今あるものを壊し、より進んだ新しいものを建設することは、避けて通れない進化、発展の手法ですので、覚悟を決めてマスターしてください、職場のみなさん。 私は、新たなステージを建設しなくてはなりませんので、次のステージで不運と闘い続けたいと思います。始終苦しいのは49の今年で終わるはずです。来年は50だし、相変わらずのおじんギャグだし。

毛(モー)遊(アシ)び 2006.07.09

毛(モー)とは野原のことです。野原で遊ぶのですが、サッカーや野球を楽しむのではなく、今風に言うとコンパをすることです。昭和の初め頃まで、若い男女が夜に出会いを求めて野原に集まり、恋愛を謳歌していたそうです。母方の祖父は士族の出なので毛遊びの経験はなかったようですが、父方の祖父はきっと宮古島で毎晩満喫していたと思います。 さて、今月東京から客を迎えてその毛遊びをすることになりました。ビーチでやるので浜遊び(浜アシビ)になるのですが、農村でも漁村でもコンパの内容に古今東西大差はありませんので、コンパを毛遊びと一括りにしてここでは説明しておきます。 コンパでも、どんちゃん騒ぎの最中からカップル単位で参加者が消えていくように、毛遊びでもそれがあったらしく、この点を強調してこれが毛遊びだ!と言ったばっかりに東京サイドの人間が膝を乗り出してきてしまいました。沖縄の皆さんすみません、犯人は私です。でも、コンパの相手を探し回る必要はありません。なぜか客はすべて夫婦同伴で参加するそうです。女の勘の鋭さか、沖縄人気のすごさか定かではありませんが、夫婦単位で早々に消えてもらいましょう。 私は、今ビギンの唄を特訓中です。「おじい自慢のオリオンビール」や「おばあ自慢の爆弾鍋」の楽譜をネットで購入しました。三線もどこからか調達して来なきゃなりません。仕事も忙しいのに誰だ、毛遊びやろうなんて言ったのは?・・・・・・・俺か。

父の日 2006.06.18

悲喜こもごもの父の日が今年もやってきました。珍しく父から電話があり、プレゼントに代えて送った現金への礼と体調の報告がありました。ガンと闘い続けて11年目。相変わらず検査づけの日々に本人も嫌気がさしているはずですが、さすがに息子に弱気なところは見せません。偉大な親父ではあります。 父親が急逝した我が甥は、今日もパソコン三昧でしょうが、「父の日」でにぎわう世間の影響を少なからず受けているかもしれません。残された者が悲しいだけの日にならないためにも、親思う子の心が故人にも伝わることを願うばかりです。 私も家族からチョコの詰め合わせとベルトをもらいました。物をもらっても覚えていたためしがないのですが、身に余る光栄です。結婚も、ましてや人の子の親になることも、願うことすら罪だと思っていましたので、光栄という表現は誇張ではありません。私と二人三脚で生きなければならない女性が出現することや、生き地獄ともいうべきこの世に人を送り出すことは、想像するだけで恐ろしいことでした。彼らの哀しみを目の当たりにすること、そのことを想像するだけで胸が張り裂けそうになるからです。 それが現実になって、やはり想像どおりの辛さを味わうこともありますが、今は、私のようなひ弱な心を持った人々の支えになれる人材に、彼らを育てていこうと腐心しています。やりがいのある辛さです。 父は、私に病との闘い方、死の谷の歩み方を教えてくれました。おそらく、死に方も教えてくれると思います。私は目をそらすことなくそれを学び、私の思いを添えて子に伝えられたらと願っています。落ちになってませんが、終わりよければすべて良しですから、ねっ。

口べた 2006.06.11

祖母は、平成10年に夫と死に別れ、平成16年に借地の返還とともに自宅を失い、老人専用のアパートに現在ひとりで住んでいます。 祖母は80代です。私は、祖母の正確な年齢を知りません。彼女の半生も知りません。すみません、薄情な孫を自認しています。 母がきちんと娘をやっているかも知りません。そもそも、母の近況を知りません。便りのないのは元気な証拠と身勝手な解釈をしていますが、想いを口にするのは相変わらずへたくそなので、克服に悪戦苦闘しています。 そこで、祖母や母から沖縄の歴史を学ぼうかと思っています。歴史の生き証人である彼女たちに語らせることで、想いを小出しにできないかと考えているのです。 そうです、私は、実は口べただったのです。

人はなぜ死ぬのか(その2) 2006.05.31

06/05/29の「人はなぜ死ぬのか」の文中「そろそろ締めます」のくだりで、理由をすべて省略したためかなり乱暴な文章になってしまいました。もちろん、人が死ぬ理由は、私に解るはずはありませんが、死んでしまうアミノ酸でできているからという答えや、罪を犯したからという答えでは多くの方の賛同は得られないだろうと承知しています。 人類は先人から生きる術を受け継ぎ、受け継いだ生きる術にさらなる工夫を凝らして、後人に受け継いできました。問題は、それが進化とか進歩といえるものだけではないということです。たとえば、自然と調和することで自然の恵みを最大限に得ようと四苦八苦してきた人類から、四苦八苦を嫌って自然と調和しなくても生きていける術を追い求める人類へと変貌した結果、人類は自然界の調和を破壊するものとなってしまいました。今や、私たちは自らの生息場所を、自らの手で失おうとしています。 死ぬこと自体が自然との調和に組み込まれている仕組みのひとつなのではないのか、と考えると、少なくともアミノ酸としての答えは導けそうです。問題は、人格と呼ばれる精神面ですが、肉体とともに滅ぶと考える方も、魂として後世に受け継がれると考える方も、あるいはその他の方も、人類過半数の支持を得られる理由を持っているわけではありません。 花鳥風月と無縁の私が言っても説得力はありませんが、答えは自然界に聞くしかないように思います。

人はなぜ死ぬのか 2006.05.29

周囲で誰かが死ぬと、多くの人がその理由を知りたがります。そして、その理由とは、自殺、他殺、病死、自然死(=老衰)、事故死などの直接の死因ではなく、多くの場合その死因がその人を襲った理由です。「なぜ、私だけこんな目に遭わなければならないのか?」という類の理由です。 何かのせいにできれば現状打開の行動に移れるという人なら、理由探しにも意味がありますが、理由がわかったら後悔が増すだけの方には、百害あって一利なしですのでやめた方が賢明です。理由探しは、不幸にもひどい目にあったときに、どう対応すればいいのかを決定するためにこそ必要なのです。 不幸な目に遭う理由ですが、やっかいなことに、多くの場合その理由は容易に見つかりません。そんなとき、あなたならどうしますか?霊能者に探してもらいますか?宗教に答えを求めますか?私なら理由探しを断念します。目の前の不幸にどう対応すべきかという答えは、実は理由がわからなくても見つけることが可能だからです。簡単に見つからない場合は多いですが。 さて、目の前の不幸にどう対応すべきでしょうか。答えは、目の前の不幸から目をそらすことです。そらせて平常心を保つことです。あなたが平常心を失うことで、あなたの不幸があなたの愛する人々に伝染していくとしたら、あなたが平常心を保てれば不幸は伝染しないことになります。もちろん、心から湧き出る嘆きを止めることはできませんが、その感情表現を小さくできれば、周りへの影響も最小限に止めることができるのです。自分を強くしたいと思われる方は、是非お試しください。人はどこまでも強くなれます。 強くなる自信のない方におすすめしたいのが、失いたくないものを極力持たない生き方です。不幸の多くは、失うことで訪れます。ですから、最初から失いたくないものをたくさん持たなければいいのです。えっ?無理?そうですか。自分の生存時間が刻々と失われていることにそれだけ無頓着でいられるのですから、無理だとは思えませんが。それに、欲に任せて貯め込むと人生の後半は失うことの連続になりますよ。対策を取らないと不幸ばかりの人生があなたを待っています。 そろそろ締めます。人が死ぬ理由は、自分の子や孫の世代が生きていけるようにするためです。ですから、ただ死ねばいいのではありません。彼らが生きていけるように環境を整えてあげる義務があります。自然環境だけではなく、生き...

母の日 2006.05.16

母の日は、バレンタインデーに似ています。普段は表現できない愛情を、チョコか何かをプレゼントすることで、躊躇することなく相手に伝えることができる日だからです。愛情表現の下手な人には、まことにありがたい日であります。 例に漏れず、私も愛情表現がうまくないので、プレゼントではなく、現金をぶっきらぼうに母に渡して照れを隠していますが、愛情表現すら面倒くさい私としては、ありがた迷惑というのが本音です。これでは、義理でチョコをくれる人のほうが、まだ私よりはましだという非難を覚悟で申し上げますが、愛情って感じるものであって、行動から確認するものではないと思います。正確に言うと、愛情は相手の行動から確認できるものではないと私は考えています。 身近にいるために気づきづらい母の愛も、親元を離れてみるとはっきりと感じることができます。もちろん、親元を離れなくても感じることは可能です。心を静めて改めてお母さんを見つめ直してみるだけで、母の愛情が感じられるはずです。 もし、感じられなかったとしても母の愛を疑うのは早計です。現代のお母さん方は、共働きだったりで母親以外の顔を昔のお母さんがたより数多く持っています。保育所に預けられたりで、あなたもお母さんと過ごす時間が充分ではなかったかもしれません。しかし、だからといって専業主婦のお母さんなら大丈夫というわけではありません。過ぎたるは何とかで、溺愛に愛情を感じることも難しいからです。 本題へたどり着けそうもないので、今夜も面倒くさがっているほうが懸命なようです。チャオ。

普通の上等 2006.05.04

沖縄の地酒「泡盛」のコマーシャルで、「普通の上等」というフレーズが使われています。私には、「普通が上等」という意味に聞こえますが、それが普通の人の解釈と合致するかについての自信は、まったくありません。「普通」という言葉に対して、私は人一倍敏感に反応します。それは、唯一私の心が憧れと劣等感でいっぱいになる瞬間でもあります。 母は、私が幼少の頃から「お前は普通の人と変わっているんだから」と言うのが口癖でした。したがって、私は「普通の人」ではないんだと自然に納得できてしまいました。外でこんなことは言うな、あんなことはするなと教え込まれてきた結果、私は、外(=親しくない人の前)では、喋らない、動かないことがベストであると考えるようになり、実践してきました。 やがて、自分を近寄りがたい存在だと思う人がいることを知りましたが、普通じゃないから仕方ないと気にもとめませんでした。しかし、ある日自分が美化されていることを知って愕然としました。そして、外見に対する自己評価と他人の評価の落差に驚かされました。例えば、子供からよく「女?男?」と言われる自分の風貌が嫌でしたが、見る人が違えば美男子となるのですからお笑いです。風呂嫌いで歯も磨かなかった男としては、光栄を通り越して困惑するしかありませんでした。 誤解を解こうと釈明すると、奥ゆかしいという評価をいただく始末だったので、美しい誤解はいつか笑いネタに使えると考えを改め、事態の収拾を図ることはしませんでした。しかし、仕事ができるという美しい誤解は、前例踏襲主義の公務員の世界にあって、前任者のいない仕事ばかりが回ってくるようになると、さすがに笑えなくなりました。喘息、頚椎ヘルニアで体を壊してしまったからです。過労死一番候補と脅かされたこともあり、普通の公務員にならなければ死亡退職しか残されていないと考え、同僚らにすまないと思いながら異動させてもらったところ、私の後任が二人も来たので失笑しました。 異動先で前任のいない仕事が二年目から始まり、やったこともない電算システムの構築をさせられました。ところが、開発を委託した業者が、担当者の退職を理由にシステムの面倒を見てくれなくなったため、独学でプログラムを勉強し、システムの保守をやる羽目になりました。マクロアッセンブラという言語は、業界でも専門家が皆無に近い状態でしたので難渋させられました。その...

うつ病を発症?(パート2) 2006.04.22

18日に血液検査の結果が出ました。異常なしでした。ということで、「うつ病」以外考えられないというのが医者の見立てなのですが、原因がわからないということで、500問の問診表に答えて、原因解明と最終診断を下すということになりました。 性格的には「うつ病」に最も遠いというのが妻の見立てなので、症状は端的に「うつ病」という医者の見立てを完全否定しています。5月2日に結果が出ます。「医者で遊ぶのもいい加減にしろ」と周囲からお叱りもいただいていますが、自分の本質を知るいい機会ですので、ご理解を。

うつ病を発症? 2006.04.05

去年の10月から体調不良が続いていましたが、喘息が出始めたので重い腰を上げて病院へ行って来ました。診断では「うつ病」とのこと。うつ病とは、『何らかの原因で気分が落ち込み、生きるエネルギーが乏しくなって、その結果、身体のあちこちに不調があらわれる病気です』(e治験.comから引用。以下『』内は引用部分)。ポピュラーな病気なので、少しご紹介いたします。 うつ病の現状ですが、『日本人の5人に1人が、一生のうちで一度はうつ病を経験するといわれている時代ですが、そのうち治療を受けている人はわずかであるといわれています。うつ病は精神面、身体面にさまざまな症状があらわれます。一般的にはそれらを原因別に「身体因性うつ病」、「内因性うつ病」、「心因性うつ病」と分類されてきましたが、最近では症状の程度と持続期間による分類(重症のうつ病「大うつ病」と軽症のうつ病)が行なわれるようになってきました。うつ病の知識が広まってきたとはいえ、軽いうつに悩む人たちは普通に見えるために「単なる甘えだ」と誤解されたり、本人が病気と気がつかず、適切な治療を受けないでいたりする場合も少なくないようです。不治の病とは違い、うつ病は治る病気です。正しい知識を身につけ、適切な治療を受けましょう。』 あなたはうつ病にかかりやすい性格ではありませんか?『現在は、誰もが複数のストレスを持っていますので、誰もがうつ病と無関係とはいえません。しかし、その中でも特に下記の素因をもつ人がストレスにさらされたうえ、傷心、転勤、出産などで違う環境に置かれるとうつ病になりやすいといわれています。 ・ まじめで仕事熱心 ・ 完全主義で几帳面 ・ 仕事や家事を人任せにできない ・ 融通がきかない(思考が柔軟性に乏しい) ・ 人にどう見られているか非常に気になる』 気になるうつ病の症状ですが、精神症状では 『・物事をやるのがおっくうで早くできない ・集中力が落ち、仕事を能率よくできない ・人に会いたくない、人と一緒にいたくない ・寝てもさめても同じこと(心配ごとや悲観的なこと)を考えている 』が主な症状だそうです。 大丈夫でしたか?わたしにはひとつも当てはまりませんでしたが、 次の身体症状の8割に該当してしまいました。 『・眠れない、頭重感、頭痛、めまい ・食欲不振、胃部不快感、便秘、口が渇く ・肩こり、背中や腰などからだの痛み ・息苦し...

一級小型船舶操縦士免許 2006.03.29

平成4年の12月25日に一級小型船舶操縦士免許を取りましたが、気がつくと平成14年12月25日に失効していました。講習を受ければ再発効するというので安堵しましたが、講習会の申し込みをするために休みをもらうのがまた一苦労で、未だ行けず仕舞いです。 終の棲家を船でという願望は、金持ちのクルージング気分を味わいたいという意味ではなく、死と隣り合わせで生きる緊張感の中で更なる進化を遂げたいという意味です。その進化を船で綴っていきたいのです。 終の棲家で今を生きている人生の先輩方にも、先の見えない人生に自らを奮い立たせて悪戦苦闘されていらっしゃる方にも、口下手、疎遠の無礼を活字で補えればと願っています。 船出の日が、もし訪れることがあれば、手を振って見送っていただけるように、アイラブユーを届け続けますので、よろしくお願いします。

いざ、さらば 2006.03.22

別れの季節になりました。出会ったときに知っていたはずなのに、その日が来るまで知らぬふりを決め込んできたつけが、涙となって清算されようとしています。 その日が突然訪れて、さよならを言う時間すら与えられなかった別れは、涙すら忘れるほど茫然自失となり辛いものがありますが、あらかじめ別れの日を知っていても心の整理はなかなか出来ないものです。齢を重ねるごとに涙腺が緩くなっていく一方なので、多くの人と同席しなければならない送別会は今も苦手です。 本心を見せる勇気だけは、おそらく死ぬまで持てそうにありませんから、気持ちを伝える気はありませんが、心の奥にこれまでのご厚情を忘れぬよう深く刻んでおきますのでお許しください。でも、涙とともに本心が溢れ出した際には、茶化して笑ってやってください。笑いながら泣くのは得意ですからご披露いたします。 どこでであれ、再会したときには、昨日も会ったような顔をしていると思いますが、表現が下手なだけですから、できたら抱きしめてやってください。私がどれだけ喜んでいるのかがお分かりいただけると思いますので。

自愛のとき 2006.03.19

ITの仕事をして2年、様々な観点から最適解を模索しても、結論はおかしくなるくらい同じになるという作業を繰り返しています。ITの近未来を専門家が予測するとき、誰の目にも同じ光景が映っているのです。 ITを最適に使う環境と地場のIT業界の発展を模索すると、業務を人質に自社のソフトとハードを強要するIT業界の利権構造を破壊しなければならないという結論に達します。この利権構造自体がIT業界を衰退させている原因であることを、当のIT業界自体も気づいます。気づきながら、あと数年は使えると考えているのです。 外資系の企業や外国のIT企業にとって、日本のIT業界のもたつきは好都合です。新たな手法でお客を引き寄せる時間が出来たからです。逆に、政府はすでに現状の打開に乗り出しています。日本がITで世界をリードしていけるかどうかは、ウィンドウズやインテルなしでは生きていけなくなった日本IT企業の建て直しが急務だと自覚しているからです。 私が不運だったのは、私の思惑と一致する国策や企業のビジネスモデルがあったことです。おかげで巨大な人的ネットワークが出来上がり、そこから抜けられなくなってしまいました。市民サービスを市税を使わずに実現させるという前代未聞のプロジェクトが走ろうとしています。給与は減る一方なのに仕事量は数倍になり、私の財布と体力はとうに底をついてしまいました。 業績が給与にまったく反映されない組織構造も同時に叩き壊す予定ですので、近々オーバーホールを予定しています。でないとあと2年は持たないとみているからです。皆さんに心配をかけないためにも自愛に努めたいと思います。

終わり笑えばすべて善し 2006.02.24

失う悲しさに耐えられないので、妻も子供も愛人も複数は持たないつもりでしたが、一人なのは妻ばかりという、個人的にはかなり危険な状況下にいます。 1月に、二男が家を巣立って行きましたが、子離れが出来ていなかった自分に愕然としています。気力半減、ため息倍増という体たらくです。この調子だと、良妻が先に天国へ行くと、私は地上で幽体離脱状態で生きることになりそうです。 突然の別れでご主人を亡くされたばかりの友人が、わざわざ訪ねて来てくれました。慰めの言葉すらかけられない私に、「元気を出して」と逆に励ましの言葉をくれた彼女が、ポーカーフェイスを気取ってすっかり忘れていた私の素顔を自覚させてくれました。 子供と遊ぶとき、悲しみと対面したとき、本当の自分が自然に出てしまいます。だから、あなたが悲しいときに私が泣いたとしても、それは気の利かない男からのエールだと思ってください。 愛する人々のために、泣いて笑って一緒に生きていきましょう。

ライブコンサート 2006.02.12

2月11日(土)にライブコンサートに出演し、ギターを弾きましたが、練習不足のため楽譜を見ないと弾けない有様で、散々な出来でした。助っ人で同僚のマットが参加してくれたため何とかカッコはつきましたが、万年風邪の状態で臨んだのはやはり無謀でした。1曲も歌えない状態に、バンド仲間からも会場に来た友人からも非難の嵐でしたが、私としては自分の欠点を再認識できたので、実に貴重な経験をさせてもらいました。 実は、当日声が出なければお笑い系でその場を取り繕おうと考えていましたが、バンド仲間がマットという代役を立てたことで、私たちの歌を聴きに来たお客さんの期待を裏切らずにすみました。私は、独力で事態の打開を図ることしか思い浮かびませんでしたが、その根底に、他人の力を借りることに後ろめたさを感じる自分の感情があることを再認識できました。 私は、良妻との関係でも「私のことはお構いなく」という態度ですので、職場でも部下に仕事を任せない嫌いがあります。後任泣かせを自認していますので、自重しているつもりなのですが、本性は思わぬところで出てくるもだということを痛感いたしました。自力でではなく、最善の手段を誰にお願いして果たしてもらうかを考えるべきでした。その誰かが自分でない場合を直視したくないのかもしれませんが、家庭でも職場でもチームで活動するわけですからチームワークを常に念頭において行動するよう心がけたいと思います。 「家事もチームワークでお願いします」と良妻に言われそうなので、今回のことで学んだのは、他人の助力も適宜必要なのだということを強調して終わります。

祈り 2006.01.30

一応、洗礼を受けたクリスチャンですので、お祈りはします。でも、放蕩息子を自認しておりますので、食事どきの「いただきます」という短い祈りを除けば、神に感謝をすることはほとんどありません。 多くの場合、私の祈りは神への怒りに満ちています。例えば、足が不自由なのに徒歩で通勤を続けてきた通勤仲間が、その不自由な足を癌に侵されとうとう歩けなくなってしまったとき、貧しき家庭の幼き二人の姉妹がお菓子売り場の前で見事なまでに物欲を抑えて見せるとき、涙を流して悲しみに耐えている者を目の当たりにするとき、私は叫びたくなるような怒りを覚えます。その怒りの捌け口が神に向けられるのです。 今年も受験シーズンを迎え、合格祈願の祈りが巷に溢れ返っています。祈願が祈りの基本形であることは今も不動のようですが、神は願いを無条件にはかなえてくれないので厄介です。

贈る言葉 2006.01.18

苦悩の日々、空虚な日々 人生の大半はそんな日々だと思って間違いないと思います そんな日々でも 心のふれあい、交わす笑み、感謝の言葉に勇気をもらって 誰もが人生に絶望せずにすんでいます 人生は不幸に満ちています でも 人生が不幸に満ちているからこそ 人は幸せに感謝できるのです また 人生は後悔の連続です そういう人生を送りたくないのであれば 自分を甘やかさないことです やるべきことを明日に延ばすのは 後悔を太らせているのと一緒です そんなことを続けても 耐えられないほどに重くなった後悔に 押しつぶされる日はやって来ます そして 人生はある日突然ゲームオーバーになります 後悔を少なくしたいのならそう思ったほうが利口です 人並みに不幸と幸せを体験すれば、立派な大人です 不幸なときでも幸せだと思えれば仙人です 他人の不幸を半減できれば神様です 出会いの喜びと別れの辛さはいつもセットです 巣立ちの日は新たな出会いの日でもあります さらには 再会を心待ちにする最初の日でもあります 再会の日までには まずは大人になっててください 私も仙人を目指してがんばります

生きて何になるの? 2006.01.05

十代にして生きることの空虚さを悟った二男からの質問です。結論から言えば、その答えを探せるのはあなた自身です。それぞれの人生にそれぞれの答えがあり、そのどれもが間違いとは言えません。ただ、あなたが求めている、誰にも当てはまる答えは、残念ながら人類史上いまだかつてありません。 生きて何になるのという質問を、自分が生まれてきた意味は何なのという質問に置き換えると、人類共通の答えは「子孫を残すこと(=種の保存)」になります。しかし、これも人工子宮で子供を産む時代を経て遺伝子から人間を生産する時代が来れば答えにはなりませんが。 さて、落ちを先に言えば、生きて何になるのかは、人生の先輩である私も知りません。20年先までの、こうやって生きていきたいという人生設計はありますが、寿命すら自分の思い通りにならないのが人生ですから、明日も生きていられるように努力するのが精一杯で、生きて何になるのかを考える余裕がありません。 ただ、生きてきて良かったとは思っています。過去に対しては、生きて何になるのという私個人の答えは示せます。それは、生きることで人様のお役に立てたということです。もちろん、あなたの役にも立てたと自負しています。そして、これからもあなたの人生に欠かせない、名わき役の一人でありたいと思っています。 これまでも、あなたの人生はあなたに決めさせてきました。だから、先の質問に対しても、あなたなりの答えをしっかりと出せると父は信じています。ちなみに、私は死ぬために生きています。私の死を知った人が一人でも多く別れを惜しんで泣いてくれるように、人様のお役に立つ日々を重ねつつ全力疾走したいと考えています。参考にはなりませんがこんな生き方もあるのです。 多くの人が頂点を目指して頑張り、頂点から落ちないように頑張っています。鼻で笑う前にどれほどつまらないものかを経験するほうが、何もせず傍観しているよりはましですよ。彼らが何故そこまで必死になれるのかがわかりますので、彼らの役にも立てます。多くの人の人生に関わることは、あなたのように一人では暮らせない人種には不可欠です。他人の喜怒哀楽で自分の人生も盛り上がること間違いなしです。 では、いつかこの記事を二男が読んでくれることを期待して、どちら様も「あけましておめでとうございます」

人生がつまらなくなったら 2005.12.26

頭でっかちの二男が、「何もやる気がしない。やる前からつまらないとわかるから。」とこぼしていました。人生の先輩として、次のアドバイスをしたいと思います。 つまらんと結論づけたすべてのことに、面白い一面が必ずひとつ以上はあります。それが見えないのは、多面的な見方に必要な知識と経験が不足しているからにすぎません。見る目を養うために、面白い側面を発見するまで、つまらん事でも辛抱して続けてみてください。そうでなければ面白いものとは一生出会えません。一過性の面白さはストレス解消にはなりますが、飽きるのも早いです。飽きたらつまらんものに過ぎなくなりますので、「面白いって何だ?」に対する答えも知る必要がありますね。 面白いもんは、付き合えば付き合うほど面白みが増していきます。それは、常に新たな発見があるからです。でも、そんなもんは、決して多くはありません。だから、探し回る必要があります。探すのが面倒とばかりに一過性の面白さを渡り歩く若者が多いですが、それではつまらん人生を解消することはできませんのでご注意ください。 面白いもんは、他人に教えてもらうのが手っ取り早い方法です。だから、世界を渡り歩きなさい。世界が広がる分だけ面白いものがたくさん見つかります。そろそろ親元を離れてみたらどうでしょう。 何をやってもつまらんということは、実は自分の人生に何の不満もないことを意味しています。不満のない人生に飽きているだけなのです。裏を返して言えば、今まさに幸せの絶頂期なのですよ。多くの大人が、不満の解消に人生を費やしています。幸せを求めて悪戦苦闘しています。親元にいるからあなたは「キリギリス」でいられるのです。早く本当の自分に気づいてください、「アリ」さん。 生きがい 関連のアマゾン情報

ギターに救われる日々 2005.12.05

初めてギターに触れたのは、中学1年生のときです。好きな女の子を想いながら、ひたすら恋の歌を熱唱していました。高校生で初めて人生に挫折したときは、やり場のない怒りをギターにぶつけてハードロックを絶叫していました。大学生になると、人生の本質と神の本質を知り、むなしさに耐えながら生きていく力と術を求めてさだまさしの曲を哀しく口ずさんでいました。社会人になってからは、朽ちていく社会とそこで生きていかなければならない人々を憂い、無力な自分に嫌悪感をぶつけるために、時には激しく、時には哀しく、時には明るく歌ってきました。 最初のギターは、中学のときに母が買ってくれました。成績が学年トップになった褒美でした。が、高校で不登校を繰り返したため、父に叩き壊されてしまいました。その後は弟のギターや妹がもらってきたギターを弾きながら、細々とギターとの縁を繋いできました。ですから、次に自分のギターを手にしたときには四十代になっていました。良妻が買ってくれました。 息子達は、僕がまだ手にすることができずにいるエレキ・ギターを中学生で手に入れ、僕が憧れていたオキナワン・ロックの元祖、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを楽しげに弾いています。「修学旅行には行かなくてもいいから、エレキ・ギターを買ってくれ」と母にお願いしたら、ダメだと言われただけではなく、修学旅行にも行かせてもらえなかった不運な僕としては、生きているうちに憧れのロックン・ローラーになれたら、と思っています。自分のことなので優先順位はかなり下ですが。 最近、ギターを持って人前にでる機会が多くなりましたが、歌に情感を込め過ぎてしまう癖が抜けないので、歌うと照れて緊張します。歌う側が歌を楽しめないと聴く方も楽しくないでしょうから、聴衆のいないロッカーを満喫したいと思います。自分に正直になるのが怖いロックン・ローラーも面白いかもしれません。 僕が何者なのかをギターだけが見てきたということになりますが、ギターのおかげで今では自分ですら自分の本性をよく知りません。「あなたは、いったい何時自分を休ませるの、どこで仮面を取るの、私は一体あなたの何なの?」と言う良妻の哀歌に対する返歌をいつかギターが奏でる日が来るような気がします。

先に逝く友へ 2005.11.16

突然死なれても、こちらは心の準備ができていないので、悲しみよりも悔しさがこみ上げてきます。電話で、相談があるからと飲みに誘われたとき、仕事を理由に日延べしてもらうのではありませんでした。なぜ、いつものように、今日が最後かもしれないから会っておこうと私は思わなかったのでしょうか。いつから、多忙ごときに心の余裕を奪われてしまう人間になってしまったのでしょうか。 あなたが何を言いたかったのか、それが気になっています。鈍感な私にわかるはずもないので、今度会ったらきちんと相談にのります。いましばらくお待ちください。でも、おそらくもう相談する必要はないのでしょうけど。 痛風だの心臓だので日頃から体調不良だったあなたと同じように、あなたが好きだった私の良妻も体調不良が続いています。が、彼女の症状が通常の私の状態とほとんど変わらないので、私も20代から体調不良だったということになります。併せて首が痛かったり、胸が痛かったりと痛いとこだらけですが、慣れれば体の痛みは気にならなくなるものですね。でも、不思議なことに心の痛みに慣れることはありませんね。 自分の都合を優先させた後悔が、痛みとなって残っています。そして癒えることはないと思います。同じ過ちを繰り返さないために。これからも、ひ弱な私の応援をよろしくお願いします。

すべてに時あり 2005.11.03

聖書にある「伝道の書」第3章は、「天の下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」という一節で始まります。季節は、私たちに種を蒔くとき、収穫のとき、漁をするとき、狩をするときを教えてくれます。しかし、自然の中で人間が成功するときを教えてくれる季節も、今動けば社会的に成功するぞという「とき」を教えてくれるとは限りません。それどころか、多くの方は「まったく当てにならない」と感じているのではないでしょうか。 しかし、季節とは無縁な社会生活で、突然やってくるように感じる「とき」にも、実は季節とは異なる規則性があると思います。通常、私たちはそれを「タイミング」と言っています。今日は愛妻の誕生日ですが、タイミングが合わないと、出会うことも、恋人になることも、妻になることもなかったわけで、これが果たしてタイミングが良かったのか悪かったのかという評価は、別の機会にお話したいと思います。 さて、タイミングがわかれば常に成功するという考え方を、「タイム・マネジメント」の向こうを張って「タイミング・マネジメント」と命名された方がいらっしゃいます。公務員の世界では無用かもしれませんが、一般企業の事業や営業の場面では、多くの方がタイミングを知る必要性を痛感されていると思います。なので、そのタイミングを教えてあげることができれば、立派に商売になるというわけです。 残念ながら、タイミングを知る術を私は知りませんが、成功に必要な要素、多くの場合それは人、金、物及び事件でしょうが、それら要素の情報を正確に把握・分析することで今後の展開を予測できれば、タイミングを知ることが可能になると思います。そして、多くの場合、最大の要素は常に人です。人を知ることは最も大きな成功要素でもあるのです。ですから、食べ物だけでなく、人の好き嫌いもなくしてください。 好きになる機会を必死に探し続ければ、必ず好きになります。私はそうして人を好きになりました。妻も私を必死に好きになろうとして成功したようです。ハッピバースデーツーユー・・・。

駆け足の人生 2005.10.23

残り時間を意識して生きているつもりはないのですが、結論を急ぐあまりそこに至るまでの説明を端折る癖がついてしまったようです。最近は、本サイト「恋文」にも私の焦りが色濃く出ているように思います。 外部からの評価が高いのをいいことに、難度の高い仕事を外から持ち込んでばかりなので、部下は悲鳴をあげっぱなしです。無理もありません。ここで実績を残しても、それで給与や昇進のチャンスが上がるわけではありませんし、今でも公務員の世界では、太く短くではなく細く長くが原則とされているからです。 難度の高い仕事の一例ですが、5億円の設備投資を他人の資本で行う事を命じています。また、5年のリース契約を月契約に移行し、長期債務を持たない契約を原則にするよう指示しています。これらを実現させるために、部下は日夜苦悩している状態です。もちろん私もです。そして、幸か不幸か、これらが暗中模索の状況ではなく、実現の目処が立ちそうな状況なので、肉体的にも精神的にもきついのです。ほかにも二桁のプロジェクトを走らせていますので、部下の状況は日々深刻になる一方です。 私の焦りは、部下が崩壊する前に成功の美酒に酔わせたいという気持ちから生じています。失敗の責任は恐れるに足りませんが、人材育成の失敗は恐れています。組織の命運がかかっているからです。しかし、最も恐れているのは、私のこれからの人生設計が狂うことです。 駆け足の人生にならぬよう、せいぜい頑張ります。(すみません。また端折ってしまいました。)

神の愛 2005.09.19

時々、「ものみの塔」という機関誌を持って、名も知らぬおばあさんが我が家を訪ねて来ます。多くの家庭で門前払いの扱いを受けているそうで、その反動なのか、我が家では神の愛と一緒に愚痴まで置いて帰られます。 彼女は、神の愛で、この世は天国になり、人々は不老不死を得て、争うこともなく平和な時代が来ると説明します。先のことは知らないので、私は否定も肯定もしませんが、少なくともそうならないで欲しいとは願っています。人が地球を自分の住みやすい環境に造り替えるということは、自然を破壊するということですし、不老不死を得るということは、人間以外の生物が自由に地球で暮らすことを許さないという事に他ならないからです。地球が人間で溢れてしまうと、それだけで戦争が起こりそうですが、争いのない世の中になるための第一番目の条件が「自分の利益を求めない」ことですので、地球が天国になるということは、人間が物欲や食欲や性欲などを持たなくても生きていける世の中になるということでしょう。 人間が、人間らしく生きるために、少なくとも「幸せ」を感じて生きていくためには、煩悩が必要です。空気、食物、衣類、家屋、家族、友人、恋人、富、名声などなどの私欲です。人間は、自分の生存と幸せを確保して初めて他者の生存と幸せに配慮ができる動物なのです。お互いの利益が相反し続ける限り、地球上から争いがなくなるわけがありません。 では、先のおばあさんが伝えようとした神の愛とはなんでしょうか。キリスト教は愛の宗教だといわれていますが、神の愛は、実はきびしい愛なのです。「他人の利益を自分の利益に優先させて生きなさい」と教えているからです。親が子に向ける愛情が典型的な例ですが、昨今は親の愛すら危うい状況です。 神が私たちに教えようとしているのは、自己中では束の間の幸せしか得られないこと、そして人間は自己中から抜け出す能力がないこと、神にはその能力を与える準備があることです。誤解を恐れず断言しますが、神を信じるということは、救われるということではありません。他人のために自分の人生を使う約束をするということです。自分を救いたいのであれば、自分の運命に一喜一憂しない自分をつくることです。 繰り返しますが、神を信じるということは、免罪符を得ることではなく、自分を自己中から他己中に変える挑戦なのです。ですから、この世は天国になる場所ではなく、修行に...

視点と接点 2005.09.07

「子供は人生最大の負債である」と言い放った悪友がいましたが、金がかかるという同じ視点からでも別の見方が可能です。つまり、「子供は人生最大の負債ではなく、人生最大の投資だよ」という見方です。また、子供が頭痛の種、ストレス源という御仁もいらっしゃいますが、気苦労が絶えないという同じ視点から、自分の生き方や人間関係を改めて考えさせられるので、自分が成長するための良き先生という見方もできます。 物事にはすべて表と裏があると言われていますが、それは同じ視点から見た場合だけの真理だと思います。視点は無限にありますので、「無限大の視点 × 表と裏」となり、物事には無数の表と裏があることがわかります。まじめに議論しているのに話がかみ合わない場合の多くは、お互いの視点がずれているからです。ですから、視点を相手に合わせることができれば、表と裏のどちらが勝っているかを存分に議論することができるわけです。 説明するまでもないことでしょうが、多くの視点を持てるということは、理解力、説得力、発想力などがついてきますので、「頭がいい」といわれたければ、ぜひマスターしてください。しかしながら、視点を相手に合わせる能力は、必ずマスターしてください。対人関係能力に代表される「人間力」がつくからです。相手の考え方、相手の価値観、世界観を理解することは、多くの視点を持てなければできない芸当なので、結果的に「頭がいい」といわれることになり心外かもしれませんが強くお奨めいたします。でも、「人間力」のアップには大きな前提があります。相手に対する好きとか嫌いとかの感情をその視点に持ち込まないということです。これがなかなかできないので、多くの頭のいい方々が失敗しているのです。 もうひとつは、、正直、誠実、正論などが相手との人間関係を良好にする以上に、相手に好意を抱かせるあなた自身が人間関係を良好にしています。双方同時に好意を抱けばラッキーですが、多くの場合、どちらかが先に好意を持ち、やがて相手も好意を抱くようになるのが一般的ですので、あなたの感情がかたくなでは職場等で避けられない人間関係を良好に保つことは不可能といえます。感情をいかなるときもコントロールするのは困難ですが、それを挑戦しない理由にしても何も改善されませんよ。人は成長できるのですから、挑戦しても損はないはずです。 子供を虐待する親が増えていますが、「考...

なんくるないさ 2005.08.22

学生時代に誰もがやっていたことで私がやらなかったことがふたつあります。ノートを取らなかった事と漢和辞典を引かなかったことです。社会人になって恥ずかしかったのは、字が読めないとの理由で起案を突き返されたことと「渋滞」を「しったい」と読んで恋人の前で失態を演じたことです。字は何とか読んでもらえるレベルまで上達しましたが、恋人には未だにバカ受けの毎日です。文章を書くようになってから、国語辞典はよく引くようになりましたが、漢字は感じで読むという癖がややもすると出てしまいます(おじんギャグはこの辺で止めておきます)。 歳を重ねてくると、先人が愛したもののよさがわかってきたのか、沖縄の音楽、方言、歴史に傾倒しています。特に、音楽を奏でる三線(さんしん)、独特の発声方法で歌う琉球民謡はマスターしたいと熱望しています。発声の仕方を正確に説明できませんが、高いキーでしかも声を潰して歌うような感じです。とりあえず民謡を聴いてください。沖縄では民謡の新曲が毎月出るほど根強い人気がありますので、ラジオで民謡番組を毎日聴くことができますから。 さて、今回本題にしたいのは沖縄の方言を共通語に訳す場合のニュアンスの違いです。例えば、よく使われる言葉のひとつに「なんくるないさ」があります。NHKの「ちゅらさん」で耳にされた方もいらっしゃるでしょうが、地元における「なんくるないさ」の共通語訳は「なんとかなるさ、どうにかなるさ」が一般的です。同じくよく使われる方言に「ちゃあがなないさ」という言葉がありますが、これの共通語訳も「なんくるないさ」と同じです。方言でも「なんくるないさ」と「ちゃあがなないさ」を同じニュアンスで使っている方が多いので、共通語の「なんとかなるさ」と「どうにかなるさ」の関係と同じ現象が沖縄方言でも発生しているのでしょうか。 「ちゃあがなないさ」は、まさに「どうにかなるさ、なんとかなるさ」なのですが、「なんくるないさ」は、私的には「きっと願いどおりになるさ」という、慰めの言葉ではなく激励の言葉だと思います。過去の経験で、弱音を吐いたときに怒られながら「なんくるないさ」と言われたこともあります。また、似たような場面で「なんくるないさ、しわぁさんけぇ(心配するな)」というフレーズもよく耳にしました。 「なんくる」という言葉には「自然に」という意味もあり、このニュアンスを含んだ共通語訳を探...

当たり前だのクラッカー 2005.08.07

むかーし、前田製菓のCMで、誰がやっていたのかは忘れましたが、「あたりまえだのクラッカー」というセリフが流行った時代がありました。私もよくこのセリフを口にしました。流行語はすたれていきますが、「当たり前」という言葉は今も元気に日本中を飛び回っています。しかしながら、若い世代がこれほどこの言葉を多用している時代はないと思います。 インターネットの発達と携帯電話の爆発的な普及で、誰でも簡単に情報収集ができる時代になり、経験しなくても、こうするとこういう結果になるんだなという実現可能性を知ることができるようになりました。これが可能性のひとつであると認識しているうちはいいのですが、こうすると必ずこうなるという固定観念に変わると、逆に多くの可能性を失う結果になります。例えば、自分の今の能力や成績ではこの大学、会社、資格は無理だから今の能力なら充分実現できるあの大学、会社、資格を目指そうというような場合です。自分の目標を設定する際に実現可能性を使い、その結果に合わせて自分の目標レベルを下方修正してしまう失敗をやらかす危険があるのです。多くの方が経験している「やる前にあきらめる」です。 では、どうすべきかというと、実現可能性は、目標の設定にではなく、手段の選択に活用すべき道具なのです。前述の例でいえば、今の能力や成績をどうやったら目標レベルまでアップできるかの手段の選択に実現可能性を用いるのです。塾、通信教育、サークルという手段の選択、そして多くの中から特定の塾、通信教育、サークルを選択する方法として活用すべきなのです。当然、手段もひとつとは限りません。ふたつを組み合わせたら実現可能性がさらにアップしたという話も腐るほどあります。手段に「当たり前」はないのです。 揺らがない目標を立てるためには自分自身をよく知らなくてはなりません。自分の中から自分に関する情報を充分収集できないと、外の情報にあなたが実現可能性を見出すことは不可能です。覚えておいて欲しいのは、あなたの実現可能性を大きく左右するデータは自分の中にある「やる気」です。「あきらめない」という意志の強さです。そして、それを実現するための実行力です。日々の努力です。そこの情報をしっかり収集できれば、目標は必ず達成できます。「できなくて当たり前」、「できて当たり前」は持つだけで害になります。「当たり前」は手当たり次第に破壊してく...

日々の生活に勝る教科書はない 2005.07.25

「万物万人 わが師たらざるはなし」ということわざがあります。この世にある物すべてが自然の摂理を物語っており、また、どんな人間の言動からも貴重な知恵や真理を学ぶことができるという意味です。あなたが洞察力を養いたいとお思いなら、万物万人を注意深く観察してください。同じものを見ても何も得ない人と多くを得る人の違いは、まさにこの洞察力の差なのです。 それでは、洞察力を養う方法をお教えしましょう。万物万人を注意深く観察することとは、なぜこんなところにあるんだ?なぜこんな形をしているんだ?なぜやたら髪の毛ばかり触るんだ?という風に、その物や人の現状や言動を理解しようとすることです。特に、他人に対してこのような視点を持てるようになると、好き嫌いだけで人間関係を構築し、嫌いな人からは何も学ばないという失敗をしなくなります。社会人になっても人の好き嫌いが激しいままですと、社会生活という集団生活は送れないので、芸術家などのその道のプロになるしかないでしょうね(失礼!横道にそれました)。 紙の教科書の効果は、誰もが痛感しているように、学んだ年月の長さに反比例しているのではないかと思うほど小さいものです。私たちに残っている紙の教科書の内容は、日々の生活で実践(=復習)してきたものばかりなのです。もちろん、紙の教科書が教えてくれなかったこと、例えば恋愛の仕方なども習得済みでしょうが、どうやって習得できたのか考えてみてください。これも日々の生活から、他人の言動から学んだものですよね。 学ぶことを忘れた人は失うばかりの人生が待っています。この言葉の持つ恐ろしさを体験することがないように、人生という学校で毎日勉強してください。紙の教科書で勉強するより百倍は楽しいですから。 洞察力 関連のアマゾン情報

束ねる人材(=指導者)を求めて 2005.07.17

誕生日を迎え、久しくやらなかった過去を振り返ってみました。私のような人種は少ないのでしょうが、自分でも呆れてしまうのは運の無さです。自分の利益を確保しようとするとことごとく失敗します。成功した例がありませんので確率的にはあり得ない状態です。神様がことごとく邪魔をしているとしか思えない心境です。 最近の例では、上司の逆鱗に触れて韓国に行けませんでした。仕事での読み違いはほとんど経験が無いので、今回はかなりショックを受けました。現在最大の自己プロジェクトは自分の勧奨退職ですが、成功させようと今から緻密に根回しを行っているものの、これまでの経験からすれば頓挫することになるはずです。しかし、諦めるわけにはいきませんので、自分の利益ではない大義名分を探しているところです。 組織の中で自分をスクラップにする計画を実行しているのは私だけでしょうが、計画を進めれば進めるほど痛感するのは、組織の力は個人の力に他ならないということです。一人の卓越した指導者がいるだけで、集団の能力が数倍になります。逆に、個々の能力が高くても、それを上回る指導者がいないために、能力が本来の数分の一になっている集団もあります。 私が束ねているのは小さな集団ですが、集団が大きくなればなるほど、束ねる力は知識や技能よりも人格(=価値観、情操、その他)に依拠する能力となっていきます。ですから、うちだけではなく、社会全体で束ねる人材が不足しています。内外との人的ネットワークを拡大し、人を見る目を養い、どんな人でも好きになる努力をすることで、何とか求める人材と巡り会える事を願う日々ですが、その秘訣もやはり大義名分を準備しておくことしかないようです。 リーダーシップ 関連のアマゾン情報

同僚哀歌 2005.06.15

6月に入り、出向した同僚からヘルプコールが携帯電話にやたらかかってくるようになりました。このため、家庭でも携帯電話が手放せない状態です。仕事のヘルプコールなので、前任者にも電話をしているようなのですが、前任者だけでは解決できない問題が多いので、私にも電話をしているのだと釈明していました。 一人でいくつもの困難な業務を抱えながら、職場では協力が得られず、むしろ新たな仕事を押し付けられているとこぼしています。私がいた頃とはかなり環境が異なっているので、上司にも部下にも現状を理解させ協力を勝ち取る行動を起こすようアドバイスはしたのですが、言うは易し行うは難し、だそうです。 体力的にはすでに破綻しており、熱がありながら点滴を打っては職場に戻るという日々が続いているというので心配です。ストレスもかなりのもので、携帯にかかってくる電話が毎回1時間前後で、その半分は愚痴です。 弱音を吐きながらも仕事に最善を尽くそうとする同僚を見ていると、彼をこういう状況に追い込んだ責任の一端が私にもあることを痛感します。誰もやりたがらない仕事をやり過ぎましたので、後任にはかなり迷惑をかけたと思います。今はそれを反省し、周囲に仕事をさせるようにしています。私は、その評価とアドバイスをするだけです。個人的には、この方がつまらないのですが、組織にとってはこれが有益なことなのです。後任を育成しているからです。 そろそろ、人事に現状を説明しておく必要がありそうです。組織では、もはや人材は育成するものではないのかもしれません。

いざ、韓国へ 2005.06.05

韓国ブームが続いていますが、実は韓国のソウル市が世界一のIT先進都市だということをご存じでしょうか。ITの世界で仕事をすることになって2年目のこの夏、どうやら韓国に行く羽目なりそうです。仕事で行くので観光はゼロの予定ですが、肝心の予算もゼロです。地方公務員の場合、国外旅費が認められるのは稀なので、役所に年休を出し、旅費は自腹になりそうです。 ソウル市のまねをすればいいので、システムの設計プランは楽ですが、上司や議会にその効果を具体的にイメージさせるのは大変です。しかし、韓国美女との国際交流を熱望・励みにして困難を乗り切りたいと思います。 そういえば、国外旅行の経験は18年前に一度きりなのでパスポートを作らなくては。韓国語で「こんにちは」はなんと言いましたっけ?

トラウマ 2005.05.29

私は、感情起伏の激しい女性が大の苦手です。その場から逃げ出したくなるほど強い恐怖心に襲われます。これは幼少の頃のトラウマ(精神的外傷)が原因ですが、思春期を迎えた娘のおかげで、ここ数年毎日このトラウマを自覚させられています。 追い打ちをかけるように、良妻が娘の怒りを真正面からはね返すので、我が家を震源とする怒号が、毎晩のように閑静なご近所を震かんさせています。もちろん、私は別室に逃げ込んで難を逃れるようにしていますが、たまに、白黒をつけてもらおうと母娘二人して乗り込んでくるので、彼女らの怒号が止むまでは心が安まることはありません。 その反動でしょうか、男性に対しては負けなしと豪語してもいいほど圧勝を続けています。しかし、突き詰めて考えると、これも幼少の頃に父から受けたトラウマによるものだと思っています。 親の言動は、繰り返されることによって、子供にトラウマとして残されていきます。地層と同じように、子供が親から受けてきた言動がトラウマからはっきりとわかるのです。わたしも、二男にトラウマを刻んでしまいました。絶対的な上下関係のうえに形成される親子関係ですから、子供はいとも簡単にトラウマを負わされます。 幸せなトラウマというものは、おそらくありませんから、肩から一生下ろせない不幸を子供に背負わせるのは、ましてやその数を増やしていくのは、親としてあるまじき愚かな行為です。お互い心して子育てに奮闘したいものです。 ただ、うちの娘だけは良妻に一任したいと思います。よろしくです、ハニー様。 トラウマ 関連のアマゾン情報

終生ただの受験生 2005.05.10

今年も母の日に司法試験を受験しました。インターネットでの解答速報と照らし合わせると、ボーダーラインの4割程度しか取れていませんでした。惨敗でしたので、過去問サイトを立ち上げて自分の実力も向上させたいと思います。 ところで、今年はシステムアナリストの試験と英検の準1級も受験する予定です。「二兎追う者は一兎も得ず」にならないよう頑張ります。 司法試験はもはやただの自己啓発ですが、システムアナリストと英検は、仕事上の必要に迫られて受験するものです。 先輩風を吹かせて、このまま手本を示し続けていくと、死ぬまで受験生をやっているのではないかと不安ですが、後輩のために頑張るしか能がない男なので、覚悟はできています。学生時代は一夜漬け勉強ばかりでしたので、短期集中型の勉強方法を確立したいと思います。呆れている皆さんも応援よろしくお願いします。

死に様 2005.04.23

今から35年前、飼っていた犬が突然床下に潜り込んでしまい、いくら名前を呼んでも出てこないことがありました。自分の死を悟ったので出てこないのだと大家さんが教えてくれましたが、それから数日後犬は本当に死んでしまいました。 また、ゾウも自分の死を悟ることができるようで、群れから離れて墓場へ移動したゾウが本当に死んでしまう映像をテレビで観たことがあります。 私も死ぬときは一人でひっそりと死にたいと思っています。畳の上や病院のベッドの上で家族に看取られて死ぬ姿は想像したくもない光景です。だって、死ににくいじゃないですか。 「縁起でもない」とお叱りを受けるような話題になって恐縮ですが、最高の人生を送りたいと願うのなら、人生の締めくくりである「死に様」にも理想のシナリオを準備しておくべきではないでしょうか。死を見つめれば見つめるほど、生きていることがありがたいと思えるのは私だけでしょうか。 日常生活で死を見つめているのは病人と自殺願望者、そして変人の私だけかもしれないですね。

32年ぶりの再会 2005.04.14

中学時代の同期15人と模合(もあい)をしているのですが、毎月同期の誰かがゲスト出演するので盛り上がります。今回、一番盛り上がったのが当のゲストで、私とは中学卒業以来実に32年ぶりの再会でした。五十路目前のおじんとおばんが中学時代そのままの口調で語り合うのにいたく感激したらしく、何度も「同級生はいいなぁ」とつぶやいていました。 私の良妻も同期なのですが、男子の一番人気だったらしく、参加した男性連は私の名前は忘れていても良妻の名前だけは例外なく覚えていました。判で押したように繰り返された会話が、 私:「久しぶり!名前は忘れたけど顔は覚えてるよ。」 「知ってる、知ってる!お前だろ、○○と結婚したのは。」 私:「そうそう。で、俺の名は?」 「・・・。」 今回は、中学時代私が好きだった女子と同じ呼び名の同期が経営する店で、やはり同じ名の別の同期をはべらせて夜中の3時までみんなでどんちゃん騒ぎをしましたので、翌朝は二日酔いで仕事に行けませんでした。当然のことですが、体調不良は当分治りそうもありません。

愛しの飲み仲間たちへ 2005.04.06

毎晩のように携帯電話が鳴り、「これから飲みに来い」とお誘いを受けるのですが、家事を理由にお断りしています。確かに良妻は毎晩残業で午前様状態なのですが、私も週に二回程度は仕事のつきあいで飲んでいるため、休肝日が必要だからです。今週も金曜日に課の歓送迎会があります。来週の金曜日も再来週の金曜日もすでに飲み会の予定が入っています。ですから、飲み仲間の皆さん、今月は誘わないでください。 5月になれば、必ずお付き合いいたします。ただし、事前予約制でお願いいたします。良妻と日程調整をする必要があるのです。「リスク管理の必須アイテム」ですのでご理解を。

人事異動 2005.04.02

多くの自治体で4月は定期人事異動の月です。出会いと別れが同時にやってくるので、精神的に落ち着かない時期でもあります。今回は、職員二人を整理するなど辛い決断もしましたが、一方で私に人事異動を直訴した方々の要望にも応えることができたので、結果に対しては満足しています。 自分を中心とした上下左右のネットワークは確実に強さと拡がりを増しています。市役所という組織がひとつになって回り始める日がくるような気がしています。バトンタッチのできる人材を多数輩出しながら、組織が自己発展していく仕組みと実績を残して去りたいと思います。良妻が「私が先」と主張するので、3年後に一緒に退職できるようプランを練り直さなければなりません。こちらの方が大変そうです。

巣立ちの季節 2005.03.27

周囲が進学だの就職だので騒がしい季節になると、良妻は、進学も就職も念頭にない息子たちと対峙したくなるようで、私にもしきりに参戦を促します。 言う事が二転三転したあげく振り出しに戻った長男や、未だスタートすらしない二男を見て、良妻の焦る気持ちはわかりますが、進学か就職かの決断を迫ったところで何も解決しませんので、私は高見の見物に終始しています。 どうしても世話を焼きたければ、やりたいこと探しを手伝うぐらいしかありませんが、「楽に生きよう」という人生観が丸見えですので、効果は期待できないと思います。友人たちが社会人になり、親になっていくのを見れば、楽に生きようという自己中心的な生き方がいかにつまらないかを思い知ることになります。恋人からのつるし上げもあるでしょう。そうなれば、黙っていても巣立っていきます。 母親としては、経済的な自立が最も心配かもしれませんが、父親としては、人生は苦難の連続ですので、人生を楽しめる精神力を息子たちが身につけられるかを心配しています。若いうちに茨の道を歩ませる効果はそこにあります。 親の最も重要な役割は、子供が何を考えているのか常に把握しておくことです。わからなくなったら、それは親の怠慢です。「めし」、「かね」、「うるさい」だけの会話を嘆くのは勝手ですが、その原因は親にあります。文句を言うだけの親と会話をしたがる子供はどこにもいないでしょうから。 金持ちになれるかどうかは、運以上にやる気の問題です。だから、経済的自立を心配する必要はないと思います。現に、多くの人が経済的に自立しています。 しかし、苦難の人生を幸せに終えられる人は多いとは言えません。ましてや、他人の幸せをサポートできる人となるともっと少ないでしょう。しかし、このレベルにならないと人生を楽しむことは不可能だと思います。苦難を人一倍経験すれば、人生を楽しむレベルに近づくことができます。憂いを知る人が優しい人だというのと同じ理屈です。 自分の思い通りにならない人生をいやというほど経験させれば、それに耐える忍耐力も、それを乗り越える努力も養われていきます。いつも言っていますが、30歳で成人だくらいの余裕が親には必要です。親になっても忍耐力は必要ですので。

孤独愛好家 2005.03.17

好きなことに没頭してしまう性格が災いしたのでしょうか、皆さんにはご無沙汰のし通しで申し訳なく思っております。温厚な私のハーフベターですら、「まるで家庭内別居よね」と嫌みを言うくらいですから、皆さんには「1年2年の音信不通は当たり前」くらいに構えていただけると助かります。一方通行ですが、このサイトをご無沙汰の穴埋めに活用すべく、できるだけ私の内面を素直に綴るようにしておりますので、それでお許しいただければ幸いです。 今週、ある方から10年ぶりにメールでお便りをいただきました。忘れずにいてくれて本当にありがとうございます。健闘を祈ることくらいしかできませんが、今後ともどうぞごひいきに。また、高校の同期会に向けてライブの練習をしていますが、バンドのメンバーと会うのは20数年ぶりでした。 こんな有様ですが、末永くよろしくお願いいたします。今夜も一人で没頭しています。

ワーカーホリック 2005.03.11

課内の士気が高まる日々に喜々としたのか、公務員になって初めて仕事中毒になったようです。会議室に移動する時間が待てないかのように、誰からともなく口火を切って毎日課内で会議が始まります。「ほうれんそう」が徹底されると、組織で行う仕事にスポーツの団体競技と同じ楽しみ方があることを実感できます。どちらもチームワークなので当然のことなのですが、私を含め課員の誰もがこの雰囲気を満喫しています。突きつけられている課題は逃げ出したくなるほどハードルの高いものですが、全員が本気で飛び越えようとしています。みんなでやればできるんだという手応えも感じているようです。 役所における私の仕事は、意外に早く集大成を迎えられそうですが、だからこそ今が一番大事なときでもあります。芽は出たばかりです。花をつける力まで一気に引き上げてバトンタッチができればと考えています。なにせ、やりたいことがまだ山のように残っているものですから。

自己嫌悪 2005.02.27

自分の限界と闘っているので、劣等感ばかりが蓄積されていく毎日です。それを振り払うようにギターで毎晩我鳴っているため、ますます時間がなくなるという悪循環が続いています。 仕事は快調です。目標までの線路は敷いたので、列車の運転は後任に任せて異動しようかと思っています。得意の織田信長に例えれば、桶狭間どころか本能寺の変にも勝利したような気分です。しかし、その反動で他の事はほとんど手がつけられませんでした。毎晩2時過ぎまで頑張ってきましたが、体力も気力も限界をとうに超しています。 今年こそは、周囲の人々との時間を優先したいと思います。自分のリハビリも兼ねて、自己嫌悪を楽しんでみます。限界に苦しむ自分を好きになるために。

だるまさん 2005.02.04

事業に失敗し、借金と病気を抱えて音信普通になった友人から、数年ぶりに電話をもらいました。ようやく精神的に立ち直り、新たな事業を始めるとのこと。何をするのかと思ったら水を売るのだそうで、協力してくれと言われたので、即決で30万もする商品を買いました。妻は、またかという顔をしていましたが、お咎めはありませんでした。私の気持ちを察してくれたのだと思います。 転んでも起き上がれる、これが人の強さです。転んでも必ず起き上がるという信念があれば、転ぶ怖さを乗り越えて進んで行けます。私は、そのことを友人から改めて学んだ思いでした。 それにしても、30万はどこから借りたものか・・・。

人を育てる忍耐 2005.01.19

子育ての秘訣は、結果を急がない「忍耐」に尽きます。無理強いせずに納得させる、悟らせる方法は、言うは易く行うは難しですが、子供が大人になるにつれ効果が出てきます。抑圧で維持された親子関係の末路は会話のない関係になるのでお勧めしません。相互理解と信頼は、徐々に深めていくしかないものなのです。 職場における人材育成も、まさに子育てそのものです。はらはらしたり、苦々しく思ったりしながら、ひたすら成長を待つ忍耐がそこには必要です。とは言うものの、私の現状は子供だけで手一杯の状態なので、職場では忍耐が限界に来ています。なので、職場では自分の後任の育成も同時に進めています。 父親も誰かにバトンタッチできればありがたいのですが・・・。

謹賀新年 2005.01.03

20世紀中に地球が滅びると信じていた者の一人として、新世紀の到来は感動をもって迎えましたが、新世紀も4年が経過すると、「とき」が解決しようとしている策は、20世紀のままであることに疑問の余地すらなくなり、落胆させられます。 「とき」の策とは、「人間社会のリセット=滅亡」です。人間社会が滅亡を回避しようとハンドルを大きく切ったときに、滅亡を回避できる確率は残念ながらほとんどゼロだと確信しています。因果応報といえばそれまでですが、人間社会、そして社会を構成する人間そのもののが、自らを淘汰してしまうことになるでしょう。 人間が、自分以外のことに関心を示さなくなる社会が、すでに構築されつつあります。地域なくして成り立たなかった家庭が、経済と情報の世界規模化と単一化、地球環境の全人類共通の課題化によって、世界なくして家庭が成り立たなくなる時代となりました。その結果、地域や国家は存在意義を失い、世界を単一の国家として、国連のような機関が地球を統治していくようになります。人類はホテルの宿泊客のように、サービスを受けるだけの存在になり、世界を旅行気分で転々としながら人生を謳歌するでしょう。・・・・ 新年早々タイトルにそぐわぬ話題になってしまいましたので、空想中年のたわごとと読み流してください。ハーフベターが早く寝ろとうるさいので筆をおきます。 今年もこの馬鹿にお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

崩壊 2004.12.14

21世紀になって、20世紀までの「常識」が早くも崩壊し始めています。例えば、21世紀の気象は記録の更新が続き、毎年の異常気象は早くも日常になりつつあります。これは、地球の温暖化、砂漠化が予想以上のスピードで進行しているからです。 子供たちも、食物に含まれている「成長ホルモン」のおかげて、異常に早く大人になっているようです。「初潮」の低年齢化がどこまで続くのか心配ですが、家畜や野菜類に使用している成長ホルモンが人類滅亡の引き金にならないことを祈ります。急速な成長が急速な老化を招くのではと危惧しているからです。 そして、誰もが気づいていることですが、経済的な豊かさが心の貧しさをエスカレートさせています。対人関係の狭さが情操教育の機会を奪っています。その結果、人生が快楽でなくなった瞬間に、多くの人は絶えられずに自殺するか人を傷つける、放火をするなどの自暴自棄に走るでしょう。 どこまでも快楽を追い求める人類は、やがて、ロボットが人間の代わりに働く時代を完成させると思います。人間の代わりに戦争もロボットがしているはずです。もちろん、テロも。もしかすると22世紀の地球は「ロボットの惑星」になっているかもしれませんよ。

ハーモニー 2004.12.01

二男が毎晩のようにバンドの練習で出かけていきます。職場でも、同僚らがバンドを組んでいて、忘年会でライブをやると意気込んでいます。バンドは、全体で一つの曲を奏でなければならないので、ソロと比べメンバーの人数倍苦労しますが、達成感もまた格別のものがあります。 バンドを経験された方ならご理解いただけると思いますが、全体で一つの曲を奏でる難しさは、演奏の間合い、速さ、強弱、抑揚などを同時に調和させなければならない点です。この点から、バンドは最もシビアに組織力を要求される集団であるといえます。 バンドのシビアさは、音を出した瞬間に実力が聴衆にバレバレになることです。官公庁は、シビアな評価を免れているために組織力を高める努力が不要でしたが、国民がシビアに評価できるライブステージ(=IT社会)が整えば、直接ブーイングの洗礼を受けるようになるはずです。 国は、組織力を強化するために、縦割りの壁を乗り越えた「調和」を模索し始めています。地方自治体も、やがてライブステージに立つ羽目になるのですから、そろそろ国からの生活保護を当てにするのはやめた方がいいですよ。組織力が白日の下にさらされたときに、恥をかかないためにも。

生きていく恐怖 2004.11.25

若者が両親と姉を殺害した理由は、「彼らが自分を殺そうとしていたから」だそうです。その認識は大間違いでしょうが、若者が「死の恐怖」から逃れるために、自分に死をもたらす親兄弟を殺害することは、理解できないことではありません。 自分の命が脅かされたら、誰でも自衛手段に訴えると思います。しかし、自衛手段は社会的に許されている程度のものでなければなりません。人間関係を築けない人は、意思の疎通が不足しているため思い込みが強くなり、信頼関係の希薄さから自己の正当性を盲信するようになります。その結果が、社会的に許されない行動につながっていくのです。 被害妄想は誰もが持っていますが、病的な人が増えているのは、多くの日本人が飢餓の恐怖から解放されているからに他なりません。解放されて安定するはずの精神は、生きていく限り死の恐怖からは逃れられないという現実を人々に再認識させる役割を果たしたのです。しかも、「死」というものが、生命だけでなく、財産や社会的地位や身分を失うことまでも意味する現代では、多くの人が気の休まることのない日常を生きるしかありません。こうなると生きていること自体が恐怖だと感じても不思議ではありません。 生きていく恐怖から逃れるために、多くの人が自殺に走り、宗教にすがり、又は精神を現実逃避(=精神崩壊)させています。自分は大丈夫だと自負される方も、生活苦の解消などに没頭することで精神崩壊を回避させているだけかもしれませんので、まずは「生きていく恐怖」と対峙してみることをおすすめします。

命日 2004.11.13

私は物覚えが人一倍悪いため、親族や友人らの命日を覚えていたためしがありません。そのつけがハーフベターに回るので、ただひたすら恐縮しています。 しかし、齢(よわい)とともに故人を想い出すことは多くなりました。文盲にもかかわらずノートいっぱいに私の名を書き綴った父方の祖母、多忙で顔を見ることもなかった父に代わり、毎日私の遊び相手になってくれた母方のひょうきんな祖父、応援してくれた職場の仲間達などなど。毎晩のように誰かの笑顔が浮かび、勇気を置土産に帰って行きます。 「日々我が命日」。経験したが故に私の生き様にエールを送ってくれているのだと、勝手に感謝している今日この頃です。

恋文 2004.11.03

あなたと初めて口を利いたのは35年前、小学校6年生のときでした。合唱コンクールにでるメンバーに選ばれて、毎日一緒に練習をしましたね。今、改めてあなたの歌声を聴くと、なぜあのときあなたがメンバーに選ばれたのか不思議です。 交際を始めてから、早いもので30年が過ぎました。あの当時、私はひどいうつ状態で人間としても最低な男でした。巷でよく耳にする「結婚して、あなたは変わったわ」というせりふを聞かずにすんではいますが、きっとそれは私の評価が一向に上がっていないという意味なのでしょうね。 結婚して21年になりますが、生活力ゼロの男をここまで育てていただき深く感謝いたします。結婚記念日も誕生日も覚えていたためしがありませんので、捨てられるのはもとより覚悟しておりますが、「善人は早く死ぬ」と申しますので、今しばらくご辛抱ください。 最後に、誕生日おめでとうございます。夜の10時にあわてて二男にケーキを買ってこさせましたので、胃に悪いかもしれませんがどうぞお召し上がりください。 ハッピバースデーツーユー・・・。

瞑想 2004.10.26

ヨーガのサイトを立ち上げるために、にわか勉強でヨーガの本を読み飛ばしたのですが、「瞑想」の本質を理解できる機会に恵まれ大きな収穫を得ました。 私が読んだ本「シンプルヨーガ」(錦本彰著)によると、「瞑想とは、集中の対象と一体になるほどに集中を深めること」と説明されています。そして、「対象が人であれ物であれ、力ずくで動かそうとするのではなく、まずその対象を思いやりを持って感じ、親身になって耳を傾けて理解しようとし、そして共感すること。このように、対象が何であれ、愛情を持って信頼関係を築く柔の心があってこそ、始めてその対象との一体感がつくれ、集中が深まるのです。そしてその状態が瞑想」なのだそうです。 私事で恐縮ですが、公私の区別なく、対人関係においては常に「相手の土俵」で戦うことを実践してきました。理由は、それが相手を知る最良最短の手段だからです。幸い、それで失敗したという経験がありませんので、図らずも「瞑想」を体得することができたのだと思います。これに反して、自分自身に対しては常に強いてきました。精神が肉体を凌駕する瞬間を何度も体験しましたので、これがベストの手法だと長年信じてきました。 今回、ヨーガは私の固定観念を揺るがしてくれました。自分に対しても「瞑想」するヨーガの本質を私が体得できたとき、私の固定観念がどうなったかをご報告させていただこうと思います。気長にご期待ください。

僕らはみんな生きている 2004.10.22

生きる屍があまりにも多い世の中なので、重いタイトルにしてみました。 内乱と飢餓に苦しむ人々は、進路に悩むことも、おもしろくない人生に気が滅入ることもありません。彼らは、自分や家族のいのちを守ることに必死で、それ以外のことを考える余裕がないからです。いつも「死」が身近にあるため、生きることにマジで取り組めます。 私が、彼らに「僕らはみんな生きている」と言ったときのリアクションと、みなさんに言ったときのリアクションはかなり違うと思います。その理由は簡単です。みなさんが、人生は生きているだけでは意味がないと思っているからです。「当たり前じゃん」、「だから何なの」という反応が一般的でしょう。では、生きることにあと何が足りないのですか。富と名声が必要ですか。快楽が必要ですか。満足が必要ですか。でも、本当にそうでしょうか。 もう一度だけ確認します。「あなたはガンです。長くてあと三ヶ月ですね」と言われたとき、生きているだけの人生に、やはり意味がないとあなたは思うのでしょうか。

以心伝心 2004.10.14

人に気持ちを伝えるのは、結構しんどいものです。伝える側のボキャブラ不足が大きな理由ですが、それ以上に受け取る側に豊かな情操(=複雑な人間の感情)を理解する能力が不足しています。「軽薄短小」をモデルに生きている人が多いので仕方がありませんが、美容、健康と同時に心の健康も維持しようと思うならば、自らの情操教育をおろそかにしてはいけません。幸せは感情そのものであり、幸せな人生は身に着けた情操(=感情のコントロール)によってのみ維持することができるからです。 情操を養いたければ、対人関係で気配りを絶やさないことです。そうすれば、やがて対人関係の理想形である「以心伝 心」を日常的に経験することができるはずです。「はずです」と申し上げたのは、私もいまだ日常的に体験できるレベルにはないからです。恥ずかしながら、私も理想を現実にすべく悪戦苦闘の日々を送っている一人なのです。