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視点と接点 2005.09.07

「子供は人生最大の負債である」と言い放った悪友がいましたが、金がかかるという同じ視点からでも別の見方が可能です。つまり、「子供は人生最大の負債ではなく、人生最大の投資だよ」という見方です。また、子供が頭痛の種、ストレス源という御仁もいらっしゃいますが、気苦労が絶えないという同じ視点から、自分の生き方や人間関係を改めて考えさせられるので、自分が成長するための良き先生という見方もできます。


物事にはすべて表と裏があると言われていますが、それは同じ視点から見た場合だけの真理だと思います。視点は無限にありますので、「無限大の視点 × 表と裏」となり、物事には無数の表と裏があることがわかります。まじめに議論しているのに話がかみ合わない場合の多くは、お互いの視点がずれているからです。ですから、視点を相手に合わせることができれば、表と裏のどちらが勝っているかを存分に議論することができるわけです。


説明するまでもないことでしょうが、多くの視点を持てるということは、理解力、説得力、発想力などがついてきますので、「頭がいい」といわれたければ、ぜひマスターしてください。しかしながら、視点を相手に合わせる能力は、必ずマスターしてください。対人関係能力に代表される「人間力」がつくからです。相手の考え方、相手の価値観、世界観を理解することは、多くの視点を持てなければできない芸当なので、結果的に「頭がいい」といわれることになり心外かもしれませんが強くお奨めいたします。でも、「人間力」のアップには大きな前提があります。相手に対する好きとか嫌いとかの感情をその視点に持ち込まないということです。これがなかなかできないので、多くの頭のいい方々が失敗しているのです。


もうひとつは、、正直、誠実、正論などが相手との人間関係を良好にする以上に、相手に好意を抱かせるあなた自身が人間関係を良好にしています。双方同時に好意を抱けばラッキーですが、多くの場合、どちらかが先に好意を持ち、やがて相手も好意を抱くようになるのが一般的ですので、あなたの感情がかたくなでは職場等で避けられない人間関係を良好に保つことは不可能といえます。感情をいかなるときもコントロールするのは困難ですが、それを挑戦しない理由にしても何も改善されませんよ。人は成長できるのですから、挑戦しても損はないはずです。


子供を虐待する親が増えていますが、「考えられない!子供は保護して親は刑務所へ入れろ!」と対処療法を繰り返しても、虐待される子供が減ることはありません。しかし、虐待する親の言い分が理解できれば、不完全でも必ず対策は見つかります。そうすれば、虐待される子供が減ります。そして、何よりも虐待される子供たちに親の愛を取り戻してあげることができます。虐待の傷は親からの癒しが一番の治療なのです。


極悪非道な人間が増えていますが、彼らを生み出したのは私たちなのです。突然出現したように見える彼らを生み育てたのは、私たちの無関心と無関心が増幅させてきた他者への無知です。誰もが、癒しを求め、好意を求め、理解を求め、富を求め、地位を求め、そして愛を求めています。これらの求めに対する無知と無関心も極悪非道な行為に値します。このことをぜひご理解いただき、身近な方々との関係改善に尽力していただければ、落ちのない今回の話も救われます。


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