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人はなぜ死ぬのか(その2) 2006.05.31

06/05/29の「人はなぜ死ぬのか」の文中「そろそろ締めます」のくだりで、理由をすべて省略したためかなり乱暴な文章になってしまいました。もちろん、人が死ぬ理由は、私に解るはずはありませんが、死んでしまうアミノ酸でできているからという答えや、罪を犯したからという答えでは多くの方の賛同は得られないだろうと承知しています。


人類は先人から生きる術を受け継ぎ、受け継いだ生きる術にさらなる工夫を凝らして、後人に受け継いできました。問題は、それが進化とか進歩といえるものだけではないということです。たとえば、自然と調和することで自然の恵みを最大限に得ようと四苦八苦してきた人類から、四苦八苦を嫌って自然と調和しなくても生きていける術を追い求める人類へと変貌した結果、人類は自然界の調和を破壊するものとなってしまいました。今や、私たちは自らの生息場所を、自らの手で失おうとしています。


死ぬこと自体が自然との調和に組み込まれている仕組みのひとつなのではないのか、と考えると、少なくともアミノ酸としての答えは導けそうです。問題は、人格と呼ばれる精神面ですが、肉体とともに滅ぶと考える方も、魂として後世に受け継がれると考える方も、あるいはその他の方も、人類過半数の支持を得られる理由を持っているわけではありません。


花鳥風月と無縁の私が言っても説得力はありませんが、答えは自然界に聞くしかないように思います。

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