超一流のものぐさなので、遺言状はありません。必要性も感じません。父として、夫として毎日の生活で交わしてきた一言一言が僕の遺言です。涙が止まらないとき、顔が苦痛で歪むとき、人生の交差点に来たとき、僕がなんて言うかはもう知っているはずです。 多分、あっさり死んでいると思います。生きることに固執してきませんでしたし、死ぬことは、当たり前ですが、想定の範囲内でしたので後悔はありません。死を想定していない人があまりにも多いですが、悔やんでも悔やみきれない人生になってしまいますよ。 死を人生の予定に入れて生活を始めると、それだけで生きていることに張りが生まれますし、何より「今日できることは明日に延ばすな」に止まらず、「明日の予定も今日で終らせる」というような積極的な生き方ができます。期限直前に超人的な集中力で仕事や宿題を終らせた経験は誰にでもありますよね。毎日が期限だと毎日超人的な集中力で生きていけます。仕事術とか記憶術とかをマスターする前に、まずは死生観を確立することです。そうすれば、○○術なるノウハウはすぐ身につきます。何事もまず何を最初にするのかという手順が大事です。人生設計においても例外ではありません。必ず来る「死」を忌み嫌っても人生設計で良い事は何もありません。 良妻は僕の命の恩人です。うつの僕を拾ってくれましたし、嫁さんになってくれました。良い夫ではありませんでしたし、これからもなるつもりはありませんが、感謝しています。他の男性とも交際してみたらと暗に諭したことで、僕は免罪符を得たつもりでいますので、将来も愛妻家らしい行動をやる予定がまったくありません。でも、本当に感謝しています。良妻がいなければ、僕は30代で他界していたと思います。子供がみな独立したら僕も独立する予定ですので、良妻にも独立をお願いしています。「余生は家族にではなく社会に捧げたい」とカッコつけてますが、苛酷な自然から学ぼうとすると老婆は邪魔ですから単独行動を予定しているのです。でも、良妻には心底感謝しています。くどいですね・・・。 子供らには、七難八苦を人の十倍は経験してもらいたいと思います。そうしなければ人の弱さは理解できません。弱さを理解できなければ、人を諭しても思いが伝わりません。なぐさめても相手の傷の痛みがわかりません。人の弱さを熟知することが、家族や社会の良き一員であることであり、混沌とし...