私たちが生まれてきた共通の理由というのは存在するのだろうか。今回は、宗教の視点から具体的に考えてみたい。もちろん、信仰心がなくても宗教から学ぶことは可能。なので、宗教と信者を結びつける信仰心の説明は省略する。 まず、私たちが宗教を信じるメリットは何だろう。それは、信仰心が人生の七難八苦を乗り切る力(=心の支え)として機能するから。宗教関係者に言わせれば、宗教のメリットはそんなレベルじゃないと反論されるであろうが、信仰者の大多数は残念ながらそんなレベルだ。宗教の教えが処世術として数多く紹介されていることからもそれは明らか。なので、ここでは処世術のひとつとして、万人に当てはまる生まれてきた理由を探してみよう。 私たちが生まれてきた理由に対する宗教の答えは明確である。誤解を恐れずに例えると、ピカピカの1年生になること、小学校に入学することがこの世に生まれることであり、義務教育課程をマスターすることが生きる理由である。マスターする義務教育過程の内容は、神や指導者の教えに従って(=彼らを見習って)生きること。彼らを見習って生きるとは、人生の七難八苦を乗り切る自力を養うこと。しかも教えに従った方法で。自力をつければ義務教育課程はマスター、卒業となる。卒業とは死ぬこと。しかし、現実には多くの人が卒業できないのに死んでいくように映る。 卒業する前に死ぬとどうなるかは明確ではないが、輪廻転生(りんねてんしょう)を前提に教義を構成している宗教が多いように思われる。ただ、内容を明示している宗教は少ないので、例えば現世で小学校2年生の課程まで終了できたら来世では小学校3年生から始まるのか、義務教育課程を終了できたら次はどうなっているのか等々疑問に対する答えは様々。やれ宿命だ、やれ因果だという論調の解説本も多いが、ここでアドバイス。「再入学を当てにするな、前世の自分を引き摺るな」である。「前世からの因果だから受け入れるしかない」、「宿命だから仕方ない」という現実逃避の言い訳に使いだすと義務教育課程のマスターは一生終らない。 カルマや輪廻転生をすんなり納得する前に、義務教育課程をマスターさせられる人とは何かを宗教的に知る必要がある。三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教に共通しているのは、あなたの魂そのものが義務教育過程をマスターすべき人だということ。宗教が常に禁欲をあなたに求めるのは、快...