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贈る言葉 2006.01.18

苦悩の日々、空虚な日々
人生の大半はそんな日々だと思って間違いないと思います

そんな日々でも
心のふれあい、交わす笑み、感謝の言葉に勇気をもらって
誰もが人生に絶望せずにすんでいます

人生は不幸に満ちています
でも
人生が不幸に満ちているからこそ
人は幸せに感謝できるのです

また
人生は後悔の連続です
そういう人生を送りたくないのであれば
自分を甘やかさないことです
やるべきことを明日に延ばすのは
後悔を太らせているのと一緒です
そんなことを続けても
耐えられないほどに重くなった後悔に
押しつぶされる日はやって来ます

そして
人生はある日突然ゲームオーバーになります
後悔を少なくしたいのならそう思ったほうが利口です

人並みに不幸と幸せを体験すれば、立派な大人です
不幸なときでも幸せだと思えれば仙人です
他人の不幸を半減できれば神様です

出会いの喜びと別れの辛さはいつもセットです
巣立ちの日は新たな出会いの日でもあります
さらには
再会を心待ちにする最初の日でもあります

再会の日までには
まずは大人になっててください
私も仙人を目指してがんばります

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