スキップしてメイン コンテンツに移動

天敵・愛娘バイトを始める

高校に進学することはあるまいと思っていた愛娘が高校に進学し、4割近い登校率に驚いたのも束の間、今度はバイトを始めたのでびっくり仰天です。行動から子供の内面を容易に推測できることが自慢だっただけに、娘には自信を砕かれっぱなしです。登校率が上がったのは、彼氏と長電話したさにかみさんのPHSを夜通し借りるため、バイトを始めたのは3日で発信できなくなる携帯電話を常時発信できるようにすることと県外に住む彼氏に会いに行くためです。まさに、典型的な娘の思考パターンです。


娘のバイト先はスーパーなので立ち仕事が多いようです。帰宅すると腰が痛いと言っては私にマッサージをさせていますが、この機会に是非生きることの本質を学んで欲しいと思っています。「で、生きることの本質ってなあに?」と娘ならすかさず質問を浴びせてくるでしょうから、皆さんも一緒に考えてみてください。ここからは娘が理解できるレベルの説明をしていますので、皆さん、不正確でも怒らないでくださいね。


さて、生きることで、私たちに共通していることは何でしょうか?生まれて、食事をして、死ぬことですね。生まれたことが生きるスタートライン、始まりであり、死ぬことが生きることのゴール、終わりです。食事は、大人になるために摂り、家族を養うためにに摂り、これといった目的が無くても摂ります。毎日お腹は空きますからね。ですから、死ぬまでに最も多くすることは、毎日の食事を得るために、自分や家族を養うこと、そのために汗水垂らして働くことなんです。
養うこととは、自分や家族や地域の人々の生活を助けてやることです。娘は、今自分を助けるために働いていますが、やがて母親になれば子供を助けるために育児や家事をしなければなりませんし、人生の後半は年老いた私の面倒を見ているかもしれません。バイト先も人間関係、育児も人間関係、私の介護も人間関係ですから、今回のバイトは人間関係のあり方、手法を娘が学ぶいい機会なのです。

仕事のやり方や育児の仕方や介護の仕方は勉強すれば学べますが、人間関係は自分の感情をコントロールできないといつまでたっても学べません。だから、人間関係がうまくいかないからという理由で仕事や育児や介護を放棄しないことが大事なのです。
人間関係をマスターするコツはひとつしかありません。相手の気持ちを考え、自分が相手の立場に立たされたらどうしてもらいたいだろうか、どうしてあげた方が相手のためになるのだろうかを考えることです。そして、自分の都合や利益よりも相手の都合や利益を優先させて決断し行動することです。相手に得(とく)をさせて、自分は今後の人間関係で御利益(ごりやく)を何度も得るという最高の得をするわけです。私が自分の人生で実践をしてきましたので、検証は済んでいます。
目先の小さな利益より将来の大きな利益を取るということは、ビジネスの世界でも通用することですが、その正確な判断ができる人は稀です。ですから、ビジネスという実利の世界で大成するためにも、人間関係で他より秀でることはとても大事なことなのです。そして、何よりも自分の人生を最高に生きたいと願うならば、是非身につけておく必要があります。

人間関係を効果的に学ぶ法則は、短気は損気(他人の言動にカッとくるなということ)、人のふり見て我がふり直せ(相手の欠点をみて自分はやらないように気をつけること)、情けは人のためならず(他人を助けてあげることは自分が困ったときにも助けてもらえるということ)、です。この三法則さえ守れば、短期間で人間関係に苦しむことはなくなります。幸せな人生を送りたいのであれば避けて通れない人間関係です。娘にも皆さんにも頑張ってくださいの声援だけですがお送りします。


「ちばりよーさい(頑張ってください)」


人間関係のアマゾン情報

コメント

このブログの人気の投稿

不満があるなら、まず自分を変えることです

この4年間、毎日のように悪寒、吐き気、アレルギー性鼻炎、じんましん、膝痛(変形性膝関節症)、腰痛、頸椎痛(ヘルニア)、肋間神経痛(もしかしたら狭心症)、腱鞘炎(手首の炎症)、後頭部の鈍痛、めまいに悩まされています。これだけあれば立派に病気だと思いますが、体を引き摺るように仕事には行っています。夕方は、調子が良ければ6キロの道程を歩いて帰宅します。食事は人並みに摂っています。帰宅後はパソコンに向かっているか、ギターを弾いているか、テレビを観ています。寝るのは午前2時前後、起床は7時過ぎです。 職場では、職員の意識改革、業務改革、組織改革の毎日です。課内では課長、係長のピラミッド組織を事実上廃止しています。全員で全業務を、担当を固定せずやっています。流行のプロジェクト方式です。適任者がリーダーとなり、全員を人材として活用しています。私も便利にこき使われています。しかし、人は簡単に変われません。「課長どうしましょう?」とリーダーが伺いを立ててくると、逆に「リーダーはどうした方がいいと思いますか?」と聞き返します。いずれ課長になってもらわなければならない人材ばかりですので、プロジェクト方式は不可欠なのです。 業務を計画する場合、まず予算を確保しないやり方を模索します。具体的には、国や民間にスポンサーになってもらうやり方です。国のメニューでは「実証実験事業の公募」がありますし、民間にはビジネスモデルを民間企業に売り込んでの共同研究や共同開発の手法があります。ですから、業務の構築は多くの自治体のように消去法ではありません。予定していた業務成果を得るために、人や金や時間の不足は知恵と行動と支援で補うようにしています。妥協をしないという強い意志が大事な意識改革なのです。最近では、法的な障害があっても関係省庁との調整で何とか解消できるのではと考えるまでに、職員の意識も変わってきています。 行政の目的は何か、成果をどう測るのかという意識改革も進んでいます。住民福祉の実施だけではなく、その向上策をも立案し実現させることが目的であり、住民の評価こそが成果を測る唯一のものさしであるという意識改革です。政策の立案部門は、政策の実施部門に評価されてこそ存在意義があるとの認識も浸透してきました。現場に評価されない頭脳集団は、存在自体が許されないことを肝に銘じるべきでしょう。したがって、何よりも必要...

この世に生まれてきた万人共通の理由はあるのか(宗教編)

私たちが生まれてきた共通の理由というのは存在するのだろうか。今回は、宗教の視点から具体的に考えてみたい。もちろん、信仰心がなくても宗教から学ぶことは可能。なので、宗教と信者を結びつける信仰心の説明は省略する。 まず、私たちが宗教を信じるメリットは何だろう。それは、信仰心が人生の七難八苦を乗り切る力(=心の支え)として機能するから。宗教関係者に言わせれば、宗教のメリットはそんなレベルじゃないと反論されるであろうが、信仰者の大多数は残念ながらそんなレベルだ。宗教の教えが処世術として数多く紹介されていることからもそれは明らか。なので、ここでは処世術のひとつとして、万人に当てはまる生まれてきた理由を探してみよう。 私たちが生まれてきた理由に対する宗教の答えは明確である。誤解を恐れずに例えると、ピカピカの1年生になること、小学校に入学することがこの世に生まれることであり、義務教育課程をマスターすることが生きる理由である。マスターする義務教育過程の内容は、神や指導者の教えに従って(=彼らを見習って)生きること。彼らを見習って生きるとは、人生の七難八苦を乗り切る自力を養うこと。しかも教えに従った方法で。自力をつければ義務教育課程はマスター、卒業となる。卒業とは死ぬこと。しかし、現実には多くの人が卒業できないのに死んでいくように映る。 卒業する前に死ぬとどうなるかは明確ではないが、輪廻転生(りんねてんしょう)を前提に教義を構成している宗教が多いように思われる。ただ、内容を明示している宗教は少ないので、例えば現世で小学校2年生の課程まで終了できたら来世では小学校3年生から始まるのか、義務教育課程を終了できたら次はどうなっているのか等々疑問に対する答えは様々。やれ宿命だ、やれ因果だという論調の解説本も多いが、ここでアドバイス。「再入学を当てにするな、前世の自分を引き摺るな」である。「前世からの因果だから受け入れるしかない」、「宿命だから仕方ない」という現実逃避の言い訳に使いだすと義務教育課程のマスターは一生終らない。 カルマや輪廻転生をすんなり納得する前に、義務教育課程をマスターさせられる人とは何かを宗教的に知る必要がある。三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教に共通しているのは、あなたの魂そのものが義務教育過程をマスターすべき人だということ。宗教が常に禁欲をあなたに求めるのは、快...

入院・手術初体験

 左膝の鈍痛が3月末の仕事を切っ掛けに激痛に変わり、足を引き摺って歩くこと1ヶ月半。痛みが右足や腰に拡がり、仕事は益々忙しくなることが決定したため、急遽整形外科へ。MRIを撮ると両膝とも半月板が損傷しているとのこと。しかも、痛みの軽い右足が重傷との診断。極めつけは手術が必要との宣告。損傷している半月板の整形(一部切除)をしないとヒアルロン酸を注入する治療をしても効果が期待できないというのがその理由。すでに変形性膝関節症を両膝とも患っているため、半月板の損傷は今後も避けられず、遅かれ早かれ手術になるのは明白と医師の説明を聞いている間に判断。ということで、早計にも手術を5月の20日に決意しました。  仕事の合間を縫って入院前検査を受けに総合病院へ行ったのが5月23日(金)。全国的にも珍しく大きな病院と周囲の診療所の連携がうまくいっている地域なので、診療所で手術を決めて、実際の手術は施設の整った大きな総合病院で受ける方式になっているのです。執刀は診療所の先生です。これって、病院関係者の方でしたらかなり驚かれる話なのですが。医療って結構保守的なのですよ、皆さん。  5月28日(水)正午に入院し、仕事関係の専門書を読んで過ごしました。前日も夜まで仕事をしていましたので、手術をする不安を感じる暇がありませんでしたが、入院した夜もベッドが合わずに腰が痛み、おかげで不安を忘れて過ごせました。今回の入院で一番辛かったのは腰痛でした。ほとんど寝ていない状態で手術の朝を迎えました。  さて、夜中の零時から絶食絶飲となり、29日の10時15分に手術室へ入りました。手術着に着替え(ジーンズのように分厚く頑丈そうな生地でした)、手術台に横になり、点滴チューブから注射をされて看護士に「血管が痛くないですか」と聞かれ、「どうして血管が痛くなるんだろう」と思ったところまでは覚えています。その間約10分弱でした。起こされたのは手術からほぼ2時間後で、麻酔担当の医師が私に声を掛けていました。覚醒の具合を見ながら少しずつ目を覚まさせていたのだと思います。「・・さん、お詳しいですね」という麻酔担当医師の言葉が続いたので、私は自分が記憶しているその前から会話を交わしていたことになります。その後聞く機会もなかったので、私が何を喋っていたのかは不明のままです。「奥さんをお呼びしましょうか」という言葉に、「心配して...