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子猫物語

2007年12月30日の夕方、娘が我が家の駐車場に迷い込んだ子猫を見つけ、懐で暖めていました。私も二男も喘息持ちで、姪の1歳の双子もよく遊びに来るので、
「家の中でペットは飼えない。どうしても飼いたければどこかの空き地に段ボール箱でもおいて飼え。」
と反対したところ、娘は翌日実力行使に踏み切り、ペットの移動用飼育箱を買ってきて駐車場で子猫を飼い始めました。

元旦の今日、野良犬が子猫を追い回していたらしく、娘が玄関に腰をかけて子猫を抱いていました。私は、
「家に入れるな。万一誰かが病気になったら困るから。飼うということは、子猫の一生に責任を持つということだ。家で飼いたければまずお前が経済的に独立しろ。それまでは、子猫と一緒に寒空の下で同じ時間を過ごせ。」
と一喝しました。自分の部屋から出さないという娘に、
「お父さんも家族の健康に責任がある。万一でもあってからでは取り返しがつかない。他の命に関わるということは自分を犠牲にすることだ。自分の時間と労力とお金を犠牲にして責任を持って子猫を飼いなさい。」
と諭しました。
「遠いところに一緒に捨てに行こう。」
と娘が言うので、
「関わりを持ったからには死ぬまで責任を持って飼いなさい。都合のいいときだけ世話をするというのは子猫を不幸にするだけだ。」
と叱りました。娘が、立ち上がって玄関から外に出ようとしたところ、状況を察した子猫はいきなり娘から飛び降り家の中に駆け込んできました。私は足で子猫を払いのけ玄関に押し返しました。子猫は私を避けるように左右から何度も突入してきましたが、そのたびに私が足で払いのけるので、最後は靴箱の下に潜り込んでしまいました。子猫の行動に娘は泣きながら何度も制止しようとしていました。
「つかの間の暖かさは、これからの多くを外の寒さの中で生きなければならない子猫にとってもかわいそうなことだ。どうしても飼いたければ、お前も一緒になって寒空の下で子猫を守れ。」
娘は、この言葉を背中で聞きながら子猫と家を出て行きました。パニックになりやすい性格なので発作的な行動を心配しつつ、覚悟を決めて待つことにしました。子育ては親も子も命がけです。命よりも大事なものがあることを知らない親には受け入れられない方法でしょうが、これを悟れない限り、最悪の場合子供が自らの手で自らの命を絶ってしまう子育てになりかねないと私は痛感しています。

半時間ほどで娘は帰ってきました。子猫は一緒ではありませんでした。風邪と闘い、娘と闘い、子猫と闘う元旦も初めてですが、今年の私を象徴している出来事だと思います。命の重さを知り、生き死にに関わって生きることが人生の本質、醍醐味であることを娘にも早く悟って欲しいと願いながら、闘いに明け暮れ、死に場所を求める私の人生もまた楽しからずや、です。今年もまた、ご心配をおかけしますが、よろしくお願いいたします。


遅れましたが、あけましておめでとうございます。


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