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投稿

こんばんは赤ちゃん

2010年4月23日午後6時47分、次男が父親になりました。午後8時過ぎ、私は孫娘と初顔合わせ。生まれて2時間も経たない赤ん坊から笑みをもらいました。小さな命をこの手に預る瞬間はいつも緊張が走るので、ぎこちない抱き方が早速孫娘に受けたのかもしれません。 「こんばんは、赤ちゃん。そうです、私が変なおじいさんです」 疎遠にしている神様に久々にお願いしましたよ。自分に対するお願いは全然聞いてくれませんが、他人に対するお願いは100%聞いてくれる神様なので、信頼はしていますが仲は良くありません。今回も願いは叶ったので大変感謝しています。 写真を撮ろうと思ったのに、相変わらずのドジでデジカメを自宅に忘れてきました。あなたのお父さんは超大物なので、あなたの写真を携帯電話で一枚撮ったっきりでそれ以上撮ろうとしません。彼は私の理解を超える人間のひとりです。あなたを預ることでこれまで回避できていた生きる苦労を少しは知ることができるでしょう。あなたの大きな役目は、彼を煩わせることです。存分におやりください。期待しています。 あなたに出会えた初日に話題にする神経がわからないかもしれませんが、会うは別れの始まりです。カウントダウンは始まっています。この自覚がないとおじいちゃんは真面目に生きることができません。あなたのお父さんほどではありませんが、生きることに飽きているからです。あなたの叔母さん、おじいちゃんの娘もおじいちゃんの理解を超えた超大者人間ですが、彼女とおじいちゃんの関係が、あなたとお父さんの関係での良き先例になると思います。叔母さんがあなたの良きコーチとしてお父さんやおじいちゃんとの遊び方を伝授していることでしょう。 おばあちゃんは家族の誰とも価値観を共有できずに生きてきた、常識に溢れたすばらしい女性です。生きる知恵は彼女から学んでください。おじいちゃんはあなたの心が病気のときだけお相手致しましょう。では、可能であれば物心がついた頃にまたお会いしましょうね。考えが甘いとおばあちゃんに笑われそうですが・・・
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こんにちは、赤ちゃん

4月になれば、あなたに「こんにちは」が言えるはず。初めまして、おじいちゃんです。 少しばかり、あなたの人生に関わって、とんでもない人生観を植え付けていると思います。ママに苦情を言われるかもしれませんが、人生の真理は多くの人が理解できないほど単純なんです。無責任なことを言っていると世間の人も言うでしょうけど、言ったことに責任を取るか否かが肝心なことではないので無視しましょう。人を非難する人は例外なく無責任です。人を教え諭す人は責任をきちんと果たされる方です。だから他人を非難する人を無視することはベターな行動です。余談ですが。 世界をこんなにひどい状況にしてごめんなさい。質の悪い人間と質の悪い自然ばかりが増えてしまいました。人々は日々利己的になり、金のためなら何でもする愚かな人が増えています。それで得をしたと思っているのですからお笑いです。利己主義と拝金主義の奴隷になっていることに気づかないだけならいいのですが、個人も会社も社会も国家も周囲との敵対関係を築く一方なので愚かな戦争がまたやって来ます。さらには、地球上の多くの生き物を殺戮してきたのでわたしたちは地球をも敵に回しています。今度は人類が自然に淘汰される番です。 日本人は、もはや電気無しでは生きていけません。だから自然災害で簡単に滅びます。精神的には、多くの人がすでに死んだ状態です。生きる喜びを見出せないからです。格差社会が内部対立を生み、元々国家経営の手法を知らない国民ですから、国際人の仲間入を果たした人々は、内部対立の激化したこの国を簡単に捨てるでしょう。だから、発展途上国の仲間入をした日本をあなたは背負わされることになります。自然災害や国際紛争も今以上に頻発しますから、責任は重大です。 賢い人は大樹を求めて海外に逃げ出すので、老人と国際化の波に乗れなかった人々だけでこの国は未来を切り開かなければなりません。具体的には、世界に貢献できる人材輩出を急ぐことがこの国をも救う道なのです。ですから、主役はこれから社会人になる人々です。おじいちゃんは、あなたにもその人材になって欲しいと訴えているのです。おじいちゃんたちのツケを将来の国民に背負わせるのはお門違いですが、あなたも逃げるか背負うかの二者択一しかありませんし、何より、あなたの人生にとっても後者が有益でエキサイティングだと断言できるのでお願いしたいのです。 おじい...

もしも明日、僕が死んでいたら

超一流のものぐさなので、遺言状はありません。必要性も感じません。父として、夫として毎日の生活で交わしてきた一言一言が僕の遺言です。涙が止まらないとき、顔が苦痛で歪むとき、人生の交差点に来たとき、僕がなんて言うかはもう知っているはずです。 多分、あっさり死んでいると思います。生きることに固執してきませんでしたし、死ぬことは、当たり前ですが、想定の範囲内でしたので後悔はありません。死を想定していない人があまりにも多いですが、悔やんでも悔やみきれない人生になってしまいますよ。 死を人生の予定に入れて生活を始めると、それだけで生きていることに張りが生まれますし、何より「今日できることは明日に延ばすな」に止まらず、「明日の予定も今日で終らせる」というような積極的な生き方ができます。期限直前に超人的な集中力で仕事や宿題を終らせた経験は誰にでもありますよね。毎日が期限だと毎日超人的な集中力で生きていけます。仕事術とか記憶術とかをマスターする前に、まずは死生観を確立することです。そうすれば、○○術なるノウハウはすぐ身につきます。何事もまず何を最初にするのかという手順が大事です。人生設計においても例外ではありません。必ず来る「死」を忌み嫌っても人生設計で良い事は何もありません。 良妻は僕の命の恩人です。うつの僕を拾ってくれましたし、嫁さんになってくれました。良い夫ではありませんでしたし、これからもなるつもりはありませんが、感謝しています。他の男性とも交際してみたらと暗に諭したことで、僕は免罪符を得たつもりでいますので、将来も愛妻家らしい行動をやる予定がまったくありません。でも、本当に感謝しています。良妻がいなければ、僕は30代で他界していたと思います。子供がみな独立したら僕も独立する予定ですので、良妻にも独立をお願いしています。「余生は家族にではなく社会に捧げたい」とカッコつけてますが、苛酷な自然から学ぼうとすると老婆は邪魔ですから単独行動を予定しているのです。でも、良妻には心底感謝しています。くどいですね・・・。 子供らには、七難八苦を人の十倍は経験してもらいたいと思います。そうしなければ人の弱さは理解できません。弱さを理解できなければ、人を諭しても思いが伝わりません。なぐさめても相手の傷の痛みがわかりません。人の弱さを熟知することが、家族や社会の良き一員であることであり、混沌とし...

この世に生まれてきた万人共通の理由はあるのか(宗教編)

私たちが生まれてきた共通の理由というのは存在するのだろうか。今回は、宗教の視点から具体的に考えてみたい。もちろん、信仰心がなくても宗教から学ぶことは可能。なので、宗教と信者を結びつける信仰心の説明は省略する。 まず、私たちが宗教を信じるメリットは何だろう。それは、信仰心が人生の七難八苦を乗り切る力(=心の支え)として機能するから。宗教関係者に言わせれば、宗教のメリットはそんなレベルじゃないと反論されるであろうが、信仰者の大多数は残念ながらそんなレベルだ。宗教の教えが処世術として数多く紹介されていることからもそれは明らか。なので、ここでは処世術のひとつとして、万人に当てはまる生まれてきた理由を探してみよう。 私たちが生まれてきた理由に対する宗教の答えは明確である。誤解を恐れずに例えると、ピカピカの1年生になること、小学校に入学することがこの世に生まれることであり、義務教育課程をマスターすることが生きる理由である。マスターする義務教育過程の内容は、神や指導者の教えに従って(=彼らを見習って)生きること。彼らを見習って生きるとは、人生の七難八苦を乗り切る自力を養うこと。しかも教えに従った方法で。自力をつければ義務教育課程はマスター、卒業となる。卒業とは死ぬこと。しかし、現実には多くの人が卒業できないのに死んでいくように映る。 卒業する前に死ぬとどうなるかは明確ではないが、輪廻転生(りんねてんしょう)を前提に教義を構成している宗教が多いように思われる。ただ、内容を明示している宗教は少ないので、例えば現世で小学校2年生の課程まで終了できたら来世では小学校3年生から始まるのか、義務教育課程を終了できたら次はどうなっているのか等々疑問に対する答えは様々。やれ宿命だ、やれ因果だという論調の解説本も多いが、ここでアドバイス。「再入学を当てにするな、前世の自分を引き摺るな」である。「前世からの因果だから受け入れるしかない」、「宿命だから仕方ない」という現実逃避の言い訳に使いだすと義務教育課程のマスターは一生終らない。 カルマや輪廻転生をすんなり納得する前に、義務教育課程をマスターさせられる人とは何かを宗教的に知る必要がある。三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教に共通しているのは、あなたの魂そのものが義務教育過程をマスターすべき人だということ。宗教が常に禁欲をあなたに求めるのは、快...

私たちはなぜ生まれてきたのか(自問他答編)

自問自答で答えを得られなかったのであれば、今の自分以外の何かに答えを出してもらうしかない。お母さんのお腹に宿る前に生まれてきた理由があると考えている人も同様。何に答えを出してもらうかを決める場合の選択肢はいくつかある。占い、宗教若しくは霊能者にお願いする、又はスピリチュアルな本から探すなどなど。 スピリチュアルに答えを求める前に、まず宿命と運命を理解する必要がある。宿命と運命を堪え忍ぶために生まれてきたと早合点しないためだ。それに、堪え忍ぶことで得られるものは多いし、それらを得ることが生まれてきた理由を知る近道になるかも知れない。 くどいようだけど、スピリチュアルな話を理解できないからと否定する必要はない。理解できたとしても証明できない、信じるか否かの世界だから。誰もが信じていて証明できない身近な例は「愛情」。嘘だと思うなら愛する人に自分の愛情がいかに深いか証明してみたらいい。言葉や行動で証明しようとするなら、誰にも真似のできない証明方法を選ぶこと。あなたの真似を誰かができた時点で、愛情がなくてもできると反対に証明されてしまうから。100%確実でないなら、100%に足りない部分を信じるか否かであなたも決めてきたはず。信じられないくらい、私たちは毎日多く人やものを信じて生きている。 問題は、占い、宗教、霊能者、スピリチュアルな本から得た答えを信じていいものかどうかの判断。そこで提案したいのが、万人に共通な「生まれてきた理由」から探すこと。あなただけのスペシャルな理由がいきなり示されたとしても、共通な理由を見出すまで保留にしておくこと。共通な理由は原則なので、あなただけのスペシャルな理由がこの原則と両立できるものかどうかを確認する方が先決。両立できなければ信じない方が賢明。 ようやく本題。あなたが生まれてきた理由を探す前に、私たちが生まれてきた共通の理由があるか否かを考えてみたい。でも、一息入れたいので次回に。 「運命と宿命」に関する本

私たちはなぜ生まれてきたのか(自問自答編)

子孫を残すため、と考えるのが地球の一員としての共通の義務。でも、これでは子孫を残さない、残せない人に対する配慮が足りない。「生きてきたからには何らかの使命があるはずだ」と高尚に考えたがる人には、そもそも何の回答にもならない。個人レベルで答えを見出すためのヒントくらいは欲しいところ。じゃあ何? まず、解決しなきゃならないのは、いつ「生まれる理由」が発生するのかという時期の問題。お母さんのお腹にあなたが宿る前か後かということ。前だと考えると、人間になる前に決まってしまうことになるので、今のあなたが関与できない世界、霊や宗教のいわゆるスピリチュアルな世界に踏み入って答えを探すことになる。胎児以降だとすると、生まれてきた理由はあなた自身が決めることになる。あなたがこれだと決めた理由があなたの生まれてきた理由だ。誰も反論できないから、誰も正解かどうかを知る術がない。「家族を守るため」、「有名になるため」、「金持になるため」、「あなたと結婚するため」などなど、人の数だけ理由も存在する。えっ?いまいち納得できない?歳と共に理由がころころ変わっていくのはおかしい?では、スピリチュアルに考える? 先に進む前にお断り。歳と共に理由がころころ変わってもおかしくはない。理由がひとつとは限らないから。それから、スピリチュアルに答えを求めても、理由どおり生きるかどうかは今のあなた次第だと考えることにする。宿命だ運命だを考えると、理由どおり生きられない自分を宿命や運命のせいにして、結局は理由を知っても意味がないから。 ここまで整理できて、ようやくスピリチュアルな世界の話が理解できるようになる。信じようとする必要はないし、理解できないからと否定する必要もない。五感、正確には自分の脳が理解、少なくともイメージできないものを人は理解できない。より正確に表現すれば、脳ではなく魂と呼ばれているものかもしれない。記憶装置以上の機能を脳が持っているのかまだ解明されていないから。いずれにしても、無理にわかろうとしないこと、むやみに信じようとしないことが大事。自分が納得できなければ、たとえ正解を見出したとしても理由を知ったことにはならないから、今後の人生に「理由」を期待どおり活かすことはできない。

娘よ、お前もか

私には私に良く似た子宝が三人います。上の二人の息子は揃って高校中退組です。娘も去年高校生にはなったものの予想どおり留年し、4月以降も数回しか登校していません。そこで、「娘よ、お前もか」になるわけです。息子二人は「大検(大学入学資格検定)」に合格したので、娘にも高校を中退して現在は大検から改名した「高認(高等学校卒業程度認定試験)」を受けたらと勧めていますが、息子たちに言わせると名前だけでなく合格も難しくなっているらしいので不安はあります。ただ、年間の合格率だけ見ると3割程度で変化がないので噂ほど難しくなったわけではなさそうです。 学歴だけを求めて進学しても役に立たない時代ですから良妻も卒業に執着はしていませんが、社会人として与えられるチャンスまで大卒と変わらないというわけにはいきません。選ぶ側の見抜く力が向上しているわけではないからです。学歴がなければ結果を出していくしかありませんから、生産者、創造者として社会に貢献する方が近道です。ものづくりの現場ではすでに人材が枯渇しています。ですから、農業、工業などの技術分野に進めばそれだけで自分自身に希少価値が生まれます。 若者が減り続けていますが、高認受検者は横ばいで減ってはいません。つまり、高校中退者の割合は増え続けているわけです。これを好機と捉える感覚が文科省にあることを祈るばかりですが、話が横道にそれそうなのでこのへんで終わります。